安易にびっくりマークをつけない

昨日の話の続きで、もう一つ文章を書く際に注意されていたことを思い出した。それは「びっくりマークを使いすぎるな」ということだった。びっくりマークはもちろん通称で、正式名称はエクスクラメーションマーク。「!」という約物を文末などに用いて、感嘆を表す技法である。

出版されるような媒体に文章を書くとなると、最初の頃はどうしても読んで欲しい気持ちが前のめりになってしまい注意を引きたくなる。そうすると自然に「びっくりマーク」ばかり使った文章になってしまうものだ。特に記事のタイトルやキャッチコピー、リードは内容の入り口になるため、びっくりマークの連打でページを繰る手を止めようと必死になりがちだ。

媒体の種類によってはそういうのもありだと思うが(例えば射幸心を煽るギャンブル雑誌とか)、やはり感嘆符は「ここぞ」というときに使うから活きるのであって、そこら中に設置してあれば見慣れてしまって機能しなくなる。また感嘆符だらけのページというのは単純に見苦しいものでもある。そういった理由で注意されていたのだろうと、今になっては思う。

「今になって」と書いたのは、言われたときには理由を聞かなかったからだった。当時の自分は、「びっくりマークに頼らずに、内容で読む人を引きつけんかい!」という試練だと受け止めいた。以来しばらくの間、キャッチコピーにしろリードにしろ、「びっくりマークを付けずに書く」というのを自分のポリシーとした。

これもまた極端な行動だと思うが、しかしそのようにして縛りをつけることで成果も得られた。「安易に感嘆符をつけないでおこう、ではどういう一文を書けば目にとまるのか」このことを絶えず考えるようになったのである。

試してみればわかるが、本文はともかくとして、「キャッチコピー・リード・見出し」辺りを感嘆符なしで書くにはある程度の文章力が必要にある。その文を読んだ際の気持ちを真剣に考えないと、目に留まる言葉は出てこない。つまりそうして行動に縛りをつけることが、結果的に文章を書くためのトレーニングになったのだった。

当時の先輩がそこまでを見越していたのか定かでなく、またトレーニング後の自分の文章力なんぞはまったくはるか上空の棚の上に上げておくが、この4月から文章を書くような仕事に初めてついた人は、「安易にびっくりマークをつけない」というルールを自分に課してみてはいかがだろうか。その先に何か良いことがあるかもしれません。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。