「見栄」というフィルター

当ブログで何度か取り上げている村上春樹の特設サイト「村上さんのところ」であるが、5月13日を持って閉鎖されてしまうことが先日告知された

おそらく一日に何十万というページビューがあると思われるが、Google AdSenseなどを貼って広告収入を図るということなどには目もくれず、期限が来たらすぱっとやめるというのが実に潔い。

心に刺さる回答があったときにはエバーノートにその都度保管しているのだが、今数えるとその数は60ほどあった。中でも今のところ一番じんわりと来ているのが以下のやり取りだ。

さて、かばんに何を入れようか

読んでみるとわかるのだが、村上さんは結構当たり前のことを言っている。人生そのものに意味があるのではなくて、そこに何を入れていくのかで意味が生まれる。当たり前のことなのだが、村上春樹の平易で説得力のある文体で書かれると、とても身に染みてくるものがある。

例えば、自分が今手にしているものは、自分が本当に心の底から納得して選んだものなのか、それとも周りがやっているから同調して選んだものなのか。この辺りはとても曖昧だ。特に「見栄」というのは非常にやっかいなものだと思う。「見栄」という感覚が一切なくなれば、かなりシンプルに生きていくことが可能になるように思っている。

そういうことを突き詰めていくと、自分は自分の人生を生きているのか、それとも社会に合わせて有り体に言えば「変に思われないように」人生を作っているのか、その境界が非常に曖昧になってくる。

40代でもそう思うのだ。10代のあらゆるものに大きな影響を受ける時期であれば、自分がここにあってここにないような感覚に陥るのは当然のことのように思う。そして、40代になった自分が「大事なのは容れ物じゃなくて、中身」という文章を読むと、本当に深く頷ける部分がある。

「何を入れるか」ということは、「何を選択するか」ということで、それは「何を捨てるか」ということでもある。捨てられないものが多くある状態になっていれば、それは見栄のフィルターで視界が悪くなっている危険がある。そうならないよう、この村上春樹さんの回答は定期的に読み返していきたい。