フェイスブックがなくても

デジタル断捨離を進めているということを以前に書いた。一度始めると極端に削ぎ落としていきたくなってしまい、スマホに入っているアプリも最近使った覚えのないものはどんどん削除している。

以前にも書いたが削除したアプリの一つにフェイスブックがある。これは使っていないから削除するという方向とは逆で、使いすぎるからそれを禁じる意味でなくすことにした。

使いすぎると言っても自分から発信するわけではない。なんとなく手持ち無沙汰になると開いてしまって、なんとなくタイムラインを眺め「いいね」を押して、なんとなくの時間がどんどん過ぎていってしまう。これが非常にもったいないと感じるようになってしまったのだ。

なので削除してみたのであるが、だったらいっそのことフェイスブック自体を止めたらどうなるだろうと思い始めた。どうしても必要な理由が2点あって、フェイスブックのメッセージ機能でのやり取りが定期的にあるのと、非公開のフェイスブックページでグループワークをしていることがある。

そういったインフラとして活用している部分をなくすのは非効率と考え、取りあえず設定を変えてタイムライン上には誰の投稿も載らないようにしてみた。これだといつ見に行っても画面は基本更新されない。同じ画面のままであれば見に行ってもしょうがないので、一日にフェイスブックを開く回数が劇的に減った。

試しにこの状態にしてみて不都合があればまた戻そうと何日間か過ごしてみたが、まったく支障はなかった。用事があれば直接連絡が来るし、大切な人のライフイベントの知らせはフェイスブックを見ずとも自然と耳に入ってくる。見る時間が節約できるほか、神経症的に何度もアプリを開くことがなくなり、感情の波も多少緩やかになったように思う。

情報にはプッシュ型とプル型のものがある。プル型は「引く」という意味の通り、自分で探して得る情報のことだ。一方、プッシュ型はこちらが行動せずとも届けられる情報で、テレビやラジオ、雑誌などの旧来のメディアのほかフェイスブックやTwitterなどのタイムラインもこれに当てはまるだろう。

プッシュ型の情報は放っておくと増殖していくので、こちらで意識的に制限していくことが必要と感じる。入ってくる情報すべてを受け止めていると自分が何を望んでいるのか、世間という大きな塊と自分という個とを隔てる境界がどんどんと曖昧になってしまう。

フェイスブックを制限してみようと思ったのは、言うなればこのプッシュ型の情報を制限しようという行動に沿ったものだ。おそらくまた他の新しいSNSが登場すれば試してみたくなるのであろうが、入ってくる情報を自分でコントロールことについては意識的になっておきたい。