人にはそれぞれ役割がある

昨日は取材で保育園へ行った。自分の仕事は、そこへ実習に来ている学生さんにインタビューするというものである。話を聞く前に同行していたカメラマンが撮影をすることになり、教室に集められた子どもたちと実習生とが遊び始めた。自分の出番はその後になるので、終わるまでの間は撮影をするカメラマンの動きをずっと見ていた。

最初は、「自分だったら何の機材を使ってどういう風に撮るかな」と考えながら見ていたのだが、途中からあまりにも園児たちが動き回るのでそちらばかりが気になりはじめた。機材云々というより、いかにはしゃぎ回っている園児たちの間をかいくぐり適した構図で収めるか、そのポジション取りが大変そうであった。

自分は教室の外に出て廊下から中を眺めていたのだが、廊下にも次から次へと園児が元気に走って行く。隣の教室では泣き叫ぶ子どもがいたり、トイレの前にはパンツを脱いだ子どもたちの集団がいたりと、いやー保育園の先生というのは大変な仕事だな、と感じた。自分にはとてもではないが無理な仕事である。やったことがないから当たり前かもしれないが、園児たちの一つひとつの行動に対してどう応えればいいのか検討がつかない。

しかしそういったカオスに思える光景でも、じっくりと観察していれば園児たちがちゃんと先生のいうことを聞いていることがわかってくる。一つの遊びが終われば、先生の号令で協力し合って片付けをして別の教室への移動も先生の声で集団になって歩いて行く。プロはすごいな、と改めて思った。

誰でも自分がやった行為に対して報酬をもらえればプロと呼べるのかもしれないが、やはり適正というか役割というのはあると思う。いくら条件が良くても向いていない仕事であれば続けるのは苦痛だろう。自分が好きなことで、なおかつ能力を活かすことができ、なおかつ満足できる報酬をもらえる、そんな仕事に出会えれば幸せである。そうなるために必要なことは、自分に与えられた役割を知ることであると思う。

自分の役割という話で思い出すエピソードがある。ある日、アルゼンチンの空港で飛行機が大幅に遅延してまった。予定を狂わされた旅行客が騒ぎ出し騒然としている空港内で、その場に居合わせたシンディ・ローパーがマイクを握り突然歌い出したのだ。

それまでわめき散らしていた旅行客たちはその歌声にノリノリになり、拍手喝采でシンディを讃えた。その様子はYouTubeにもアップされている。

世界的に有名な歌手であれば、カオスな状況の中「巻き込まれたくない」と隠れてしまう選択もできただろう。というか個人的な利益を考えればそれが最も合理的な行動といえる。しかしシンディ・ローパーは、世界的に有名な歌手だからこそ自分の力でその場を鎮めることができると分かっていたし、その役割を空港にいる多くの人達のために果たしたのだと思う。役割を活かすも殺すも自分自身の選択なのだ。

感情や利益などに自分の行動はどうしても左右されるものである。それでもこのエピソードのように、心のどこかでは自分の役割というものをきちんと認識できるようになっておきたいと思う。