人工的で不自然なもの

普段、テレビを見ることがないという話を以前に書いた。

しばらくテレビから遠ざかっているところ、先日取材に行ったとある施設の待合室でドラマが流れていたので、時間が来るまで間、何の気なしに眺めていた。その時に思ったことを備忘録的に。

CMを挟まなかったので、NHKだったのかもしれない。ダイニングで家族3人が話しているところに、誰かが入ってきて会話に加わり、さらに奥の部屋にもう一人誰かがいてそちらからも声が聞こえて応対する。そんな入り組んだ設定のシーンだった。

映像では立ち位置などが説明的にならず、自然に位置関係が把握できるようにカット割りがなされていて、見ていて飽きることもなかった。「勉強になるなー」と思いながらけっこうしっかりと見ていた。

その後、シーンが変わって時刻は夕暮れ時に。2人の子どもがブランコに乗って揺られながら話をするというベタな場面となったのだが、その時の夕暮れを表す色にびっくりした。公園全体がライトで真っ黄色になっているのである。これって今どきは全部こんな感じなのだろうか。

確かに夕方になれば太陽の色は赤く染まりそれに照らされる風景も色付くのだけど、そのいかにも人工的に作られた真っ黄色の光の中で演技している子どもを見ていると、リアリティを全く感じなかった。

ダイニングのカットの時はこの不自然さを感じなかったので、夕暮れを表す色遣いがそう思わせるのではないかと思ったが、しばらく考えてみて、そうではないかもと考えなおした。

ダイニングというのは完全にセットの中で撮られているという認識が見ている自分の中にはある。元々不自然な状況で演技をしていると見ているこちらもわかっているので、画面に映し出される芝居もすんなり脳が受け入れるように感じる。

それが公園のシーンになると、自然に思わせるよう作りこんでいるセットが逆に気になってしまう。背景は遠くの町並みまで描写されているけれどこれはどうやって作ったのだろう、とそちらに意識がいってしまう。真っ黄色のライトの中、肉眼以上のクリアでシャープな映像で描写されると、さらに不自然さが際立ち気になってしょうがなくなる。

先日観た映画の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」も不自然極まりない
映像のオンパレードだったが、それはそういうものだと思いながら観たので
何の違和感もなく最後まで楽しく見ることができた。

結局のところ、人工的なものを人工的なままに見せられると、脳みそは自然にそれを受け入れるのだけど、人工的なものをあたかも自然なもののように見せられると受け入れを拒否し始めるのかもしれない。と思ったのだった。