なぜフェイスブックは人気があるのか

少し古いのだが、以下のような記事が目に止まった。

一夜にして「友人」を激増させる簡単なやり方

普段SNSをやっている人ならタイトルだけですぐにピンとくるだろう。ある程度のお金を出せば、フェイスブックやツイッターで友達の数を簡単に増やせるという内容である。これ自体は目新しいトピックではない。SNSに接している人であればまあ普通に知っていることである。ただタイトルに釣られたのは、「友人」とカギカッコをつけて表記しているところがミソだなあと。

SNS上の「友人」の数など空虚なものだとわかっているのに、数字を突きつけられると競いたくなるから困ったものである。フェイスブックに投稿をすれば、いくつ「いいね」がつくかすごく気になってくる。自分がどれだけ人から好かれているのか、目に見える客観的な「数」として知りたいという願望がある。そしてなおかつ、その数を可能な限り増やしたいという欲求が出てくる。その欲求の延長線上に、「友人」をお金で買うという発想があるのだ。

SNSと言えば、フェイスブックをやめたという話を以前に書いた。それで支障はまったくなくて、むしろ感情の波が穏やかになってきたとも書いた。少し離れた場所からどうしてフェイスブックが人気となるのか考えてみると、結局は他人がどこで何をしているのかがとても気になるからかなと思った。

誰かがどこかのレストランで友人たちと楽しそうに過ごしている写真を見れば、心のどこかに自分もそういうことをしたいという欲求が生まれる。誰かの観光地で遊んでいる写真を見れば、自分もどこかの観光地へ遊びに行きたくなってくる。負けじと自分自身もどこかに行けば投稿をするようになり、結果、フェイスブックを見る習慣がどんどん強化されていく。

大昔の人間というのは、一人では決して生きていけなくて、狩りをするにも住居を作るにも必ず集団の力を必要としていた。人のそばにいて、群れて、人から好かれるように努力をしないと、現実問題として食料や住む場所が手に入らず生きていくことができなかったのだ。人の真似をすることが生存戦略だったのである。

その本能が今でも残っていて、誰かが何かをやっているのを見て、それを自分がやっていないと不安になってしまう。フェイスブックはその不安解消ツールとして、とても有効に機能するから、多くの人に人気があるのだろう。

しかし太古の昔はいざ知らず、現代でその本能を全開にしていると大変なこととなる。テレビを見れば「みんなこれを買ってますよ、いいんですか?」と宣伝してくるし、街に出れば「今買わないと損ですよ、いいんですか?」とあらゆるものが訴えてくる。さらにSNSを見れば、知り合いの人があらゆる体験を披露していて羨ましくなってくる。こういったものを選択することなくすべて無条件に受け入れていると、まあ普通に考えてすごく疲れるし、自分がやりたいと思うことがぶれていくこととなる。

やりたいことをやるには時間とお金が必要となるわけだが、それらが「他人の真似」のために浪費されてしまうのだ。

おそらく、ネットインフラがこれだけ整ってくると、シームレスな情報共有ツールというのがより便利に視覚的にユニークなものへと発展し続けることになるだろう。その中で自分が必要と思える行動を選択し続けることは、かなり難儀なことだと思われる。「これはただ羨ましくなっただけだから、自分はやらなくてよし」と冷静に判断できるように意識的にはなっておきたい。