頭と体と心はつながっている

ジムに週2日から3日ぐらいの割合で行っている。最初のうちは一生懸命に筋トレをがんばっていた。継続して通っているうちに、少し筋肉がついてきて体重がアップしてきた。成果が数字として見えてくるとモチベーションは持続する。自分なりに目標を作って励んでいた。

それがある期間に仕事がすごく立て込んで、2週間ぐらい行けない期間ができてしまった。そうなると苦労して作った筋肉は見事にしぼんでしまい元通りの体になる。その時の虚脱感といったらなかった。時間を掛けて積み上げたものが一瞬にして消え去ってしまった虚しさを感じた。それほど大層なものではなかったとしても、である。

以来、ジムには通っているが筋トレのためのマシーンに近寄ることはなくなった。筋肉増量への興味が失われた代わりに、ランニングマシーンを使って30分間歩いたり走ったりしている。

そのくらいのためにわざわざジム通いするのもどうかと思われるかもしれないが、金沢は雨降りの多い街である。屋外でウォーキングなどをしていればすぐに、「雨が降ったから今日は休み!」という日が続きなかなか習慣とならない。なので歩くぐらいのことでも、この街ではジムに通うのが持続させるために有効なのである。

マシンに乗ってベルトコンベアの速度に従って歩いている時には、だいたいiPhoneに入れてある動画を見ている。それは見返したい映画であったり、見逃していた講演であったりするし、時には自分が撮った動画を見返している。

30分間であればだいたい3キロぐらいの距離を歩くことになるのだが、映像を見ながらであれば体力的にきついとか飽きるといった感覚にはならない。見ているうちにいつの間にか終わっているという感じである。それで30分間体を動かせば、頭の中が幾分すっきりとしているのを感じる。体を動かせばその分、頭の中に詰まっていた事柄も自然と整理されるようだ。

色んな事柄が同時に頭のなかに押し寄せているときなどは、無理に作業をせずに時間を取って、30分間走ることにしている。走っていても最初の10分くらいはどんどん頭の中に懸案事項が押し寄せてくる。「こんなところで走っている場合なのだろうか」と不安にもなってくる。

それが不思議なもので、15分くらいするとだんだん雑念がなくなってきて自分の呼吸音だけが頭に聞こえるようになってくる。そうなればしめたもの。30分間走り続けた後には頭の中はすっきり、絡んでいたはずの糸が自然に解けているのを感じる。

一分一秒を争うことなどそうそうにないのだ。自分を追い立てているのは、何を隠そう自分自身の焦燥感なのである。走り終わってしばらくクールダウンをして、シャワールームで汗を流す。

その最中にも、メールには片付けなければならない事柄が次々と届いているのかもしれない。しかし、いったん整理された頭であればそれらを処理するのは簡単だ。走ることでいくらか時間を無駄にしたかもしれないけれど、それをカバーできるだけの心の余裕は作れている。

「こうでなければならない」と可能性を限定しているのは、いつでも自分自身の余裕のなさが原因である。時間がないと感じている時ほど、体を動かすための時間をとる。頭と体と心はしっかりとした線でつながっているのだ。ジムへ通うようになって学んだことのひとつである。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。