恋愛モノ好きな日本人

渡辺美里の「ribbon」というアルバムを久しぶりに聴いていて、思ったことがもうひとつある。それは、「恋愛ソングばかりだなー」ということだ。

学生時代に聞いていた時には違和感を感じなかったのだけれど、一歩引いた位置から歌詞を聴いてみると、好きな人へ届かない想いや一人になった寂しさなどを綴った少し悲しい恋愛の歌ばかり。

孤独感を表現するのは芸術の役割のひとつだと思うけれど、それは恋愛に限ったことではないだろう。というかむしろ、恋愛というのはかなり分かりやすい孤独感である。

分かりやすいから共感を得やすい → ヒットしやすい → だから内容が恋愛のことばかりになる

ということなのだろうか。

別にこのアルバムに限らずとも、日本人というのは恋愛を題材にしたものが好きである。歌も小説もドラマも恋愛絡みのものが多い。世界的に見て、日本人は恋愛を扱った作品が好きだという定説がある。海外の人からすれば、少し異質に見えるという。この説を裏付ける資料のようなものはなくて印象に過ぎないのだが、その理由はなんとなくわかる気がする。

自己主張をしないで空気を読むのが日本人の特性である。子どものころから大人の言うことを素直に聞く子が「いい子」だと褒められるので、自己主張をしないことが人から認められることだと思ってしまう。しかし自己主張をしない子が褒められるのは、その方が大人にとって管理しやすいからなのである。

そうして自己主張を抑える「癖」を持ったまま学校や会社へ入ると、また自己主張をしない人が「扱いやすい」ということで褒められることとなる。そういう環境で暮らしていくと「自分の願望を口に出さない」習性がどんどん強化されていくこととなる。

しかし、である。自己主張をしないのであれば、好きな人ができてもアプローチすることができないではないか。

「いいな」と思う人ができても、自分の願望を口に出すことは周りにとって迷惑なことだとしつけられている。なのでなかなか欲求を叶えるための行動にでることができない。その捌け口として恋愛ものを扱った作品を見るようになる。市場は支持を受けるものに敏感に反応するので、結果として日本には恋愛モノばかりが世にはびこるようになる。

日本人の恋愛作品好きには、そんな図式があてはまるような気がする。

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