雑誌の現状

前回の続きで、雑誌が衰退している現状について。昔は、雑誌の買い方というのは2通りあった。目的を持って買う場合と暇つぶしでなんとなく買う場合である。

暇つぶしという意味では電車などでの移動時に雑誌や新聞を買うのが定番の行動だったと思うけれど、それらは完全にスマホに置き換わっているのだろう。暇つぶしの媒体として雑誌は絶対にスマホに勝てない。無料で際限なくネット上の記事を読めて、メールやLINEなど友達と通信もできる。そんな便利なものがすでに手のひらにあるのだ。ここから敢えてキオスクに立ち寄りお金を払って雑誌を買おうというのは、スマホを持っていないシニア層のみではないか。

であるならば、雑誌がターゲットとすべきは、「この雑誌が好きだから」とか「専門誌のこの情報が知りたいから」といった目的を持って買う層となるだろう。自分も以前はこの層だったのだが、いつの間にか買わなくなってしまったのは前回書いた通りである。なぜだろうか。

この前、Apple Watch で世の中が盛り上がっている時に、情報を得ようとネット上の記事をたくさん見た。本屋に行った際にはそれについて書かれている雑誌も手にとって見た。その時にネットと比べて雑誌の記事について思ったことが2つある。

1 書いてある内容がかなり浅いなということ。
2 悪いことがまったく書かれていないということ。

最初に思ったのは1の、内容の深さや鮮度が中途半端だということだった。深さと鮮度についてネットに完全に負けていると感じた。ネットは速いだけで内容があてにならない、という考えがあるかもしれないけれど、きちんとしたキーワードで検索すれば信頼性の高い記事にたどり着けるようになっているのは以前に書いた通りである。

ネットであらゆる記事を見た後に雑誌を読むと、「この程度の情報のためにお金は払えないな」と率直に思ってしまう。すでに知っていることばかりで、なおかつその表面をすくっただけのインデックスの羅列という印象を持ってしまうのである。

その浅い部分を補うために洗練されたレイアウトとレベルの高い写真、図表などがプロの仕事によって用いられ読みやすく整理されているわけだが…。そういったものはおそらく、雑誌を読む読者にとってもはや空気のようなものになっていると思う。お金を払うのだからあって当たり前という感覚であろうか。

それよりも読むことで自分の時間を掛けるのだから、それに見合うだけの内容を求めているのではないか。結局、AppleWatchについての雑誌をいくつか立ち読みしたけれど一冊も買うことはなかった。

2については、今の雑誌の致命的な部分だと思うのだけど、基本的に記事にしている対象物について悪いことを書くということがない。この原因は、収益を広告に依存していることにあると思われる。コミック誌であれば利益は単行本から得るというモデルとなっていると思うが、一般的な雑誌は広告収入がメインである。なので出稿しているクライアントの商品やサービスに対して悪く書くことができない。気分を害されて出稿取りやめとなれば、雑誌を作るための予算が発生しないのだ。

直接のクライアントではなくても、特定の商品やサービスを悪く書くことで将来的に不利益が生じるかもしれないと考え、自主規制してしまっている面がある。全体的な印象としてマイルドになっていて、印象に残る言説が少ない。

本来、物事にはいい面と悪い面というのが必ずある。伝える際にはその双方をきちんと明記しないと公平性と中立性が担保されず、信頼を生むことができない。クライアントや世間の顔色を見ながら悪い面には目をつむって記事を書けば、ネット上の記事のような歯に衣着せぬ物言いと比べるとどうしても見劣りしてしまう。

ネット以前であれば「それしかなかったので」雑誌を手にとっていたが、現状では時間を掛けてまで読む価値のあるものとは相対的に見てなかなか言えないのである。昨日、雑誌が売れなくなったのにはコンテンツに原因があると書いたが、「中途半端な情報ツール」というのが一番の印象なのだ。

追記

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続・ライターの未来


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。