続・ライターという仕事に未来はあるか

昨日、一昨日と雑誌が置かれている現状と未来のことを書いてみた。これらを踏まえた上で、先日途中まで書いて保留にしていたライターの未来について考えてみたいと思う。

雑誌の未来が暗いのは現状から容易に予測できる。決してなくなりはしないと思うけれど、一昔前の百花繚乱な状態には絶対に戻らない。生き残るための最適化された形式に進化していくだろう。それは電子化かもしれないし、集中と選択で専門誌だけが残り、一般誌はウェブサイトやアプリでの月額課金制を取るかもしれない。その形態は先になってみないとわからないけれど、雑誌が変わるのであれば、その仕事を受けているフリーライターの仕事の仕方も変わって当然である。

無記名ライターの場合、原稿料の縮小はこの先避けられないだろうと思う。専業でやっていくためには、ともかく数をこなすことが必要となりそうである。そして業界全体のシュリンクが止まらない限りはその縮小は消失点に向って進んでいってしまうだろう。

しかし下がり続ける単価に応じて執筆量をどんどん増やすのは、相当にしんどいことである。文章は整合性を取りつつわかりやすく伝える必要があるので、ある程度の時間というのは絶対に掛かるものだ。プライベートな部分を削って執筆時間を増やしたとしても、どこかで「これ以上は書けない」と頭打ちになるだろう。そして、その地点で手に入れられる収入が最低限の暮らしを保証しない可能性がある。

それに、自分で書きたいものを書くのならいざしらず、依頼された原稿のためそこまで身を削っても先が続かないだろう。制作料が下がった分、執筆量を増やすというのは机上の空論なのである。

そこで、もし今「フリーライターになりたい」と相談を受けたとしたら、以前の「フリーライターになるには」という記事でも書いたように、まずはどこかの出版社なり編集プロダクションなりに入りコネクションを作りながら、ライター以外のスキルを身につけるのをすすめると思う。

それは写真の撮影かもしれないし、語学かもしれないし、フードコーディネーターかもしれない。自分が興味のあるものであればなんでもいいと思うのだけど、「文章を書く」「編集ができる」にプラスしてもう一つのスキルを持っておくのだ。

これは要するに組み合わせで勝負するということである。ライターや編集者などどこにでもいるけれど、「プロ並みの写真が撮れるライター」となればぐっとその数は減る。「英語が堪能なライター」の数も少ないし、「テーブルコーディネートをできるライター」はもっと少ない。執筆と何かを組み合わせることで、自分の希少価値を高めていくのである。そうすれば制作料を下げずに維持できるだろうし、また自分自身のブランディングもしやすくなる。

ブランディングが軌道に乗れば、無記名ライターから脱することができるかもしれない。自分でコンテンツを作って、それを販売する側に回ることも可能となる。依頼された文章をこなすだけでは、その先の未来は暗いとしか言いようがないが、何かと組み合わせることで開かれていく可能性が生まれるのである。

生き残るため、雑誌が時代に合わせて最適化されていくのは避けられない道だ。だとすれば、そこに生きるライターもまた生き残るために進化していけばいいのだ。今の世の中の一部の論調に「日本を取り戻す」とか昔の良かった頃に戻りたがる風潮があって自分は今ひとつ理解できないのだけど、未来が変わるのであればそこに属する個人もまた変わればいいのである。このシンプルな考えはどの業界のどの分野にもあてはまるように思っている。

ライターに未来はあるか?その答えは、「時代に最適化できたものにだけ、訪れる未来はある」としておきたい。