マトリックスが突きつける、あやふやな現実

以前にも書いたのだけど、ジムで走ったりウォーキングをしたりしながらiPhoneに入れた映画を見るのが習慣になっている。

見る映画については初見のものを選ばずに、何度も繰り返し視聴をしているものを選んでいる。年末にスターウォーズの最新作が出てくるので、その準備も兼ねて全シリーズを見返していた。

実はあまり熱心なスターウォーズファンではなく、通してみるのは3回目くらいのものである。この習慣をはじめてから思ったのは、映画館や自宅でじっくりと見るよりも、走ったり歩いたり身体を動かしながらのほうがなぜかしら集中して見られるということである。気づいていない部分があったりして、楽しみながら全シリーズを見終えた。

次は何を見ようかと考えて、やはり何度も試聴しているシリーズ物にしようとマトリックスにすることにした。この映画の公開は世紀末の1999年である。もう16年も前の作品になるのに本当にいま見てもおもしろい。かなり好きな映画のうちの一つだ。

この映画が公開された当初は殴られた人が後ろに吹っ飛んだり、打放った銃弾が残像を残しながら進んでいく映像表現が斬新で、その部分にかなり注目が集まったと記憶している。ネロが後ろにのけぞりながら銃弾を交わすシーンは、テレビのバラエティで何度も真似しているのを見た。

確かにいま見てもそういうシーンはすごいなと単純に思う。だけれどもこの映画のおもしろさは、なんといってもストーリーにある。

最初に披露される舞台は、公開された頃の現実と同じく1999年のアメリカに設定されている。しかし物語が進むにつれて、映画内の本当の現実は2199年であることが知らされる。主人公であるネロが過ごしている1999年の世界は、人間を支配するコンピュータによって見せられている仮想現実(マトリックス)なのである。というのがこの映画の核となる部分である。

物語の結末の一つとして夢オチというのがあるけれども、この映画はその逆で「現実と思っていたことが実は夢だった」というのがスタート地点となっている。王道のストーリー展開をひっくり返した発想がおもしろさのポイントだ。

何かの本で読んだのだけど、人間は今現実だと思っていることを夢ではないと証明するすべを持たないという。つまり今このブログを書いている僕も、読んでいるあなたも、実は気づいていないだけで長い夢の中にいるのかもしれないのである。その可能性は決してゼロではないのだ。

自分たちの意識というのはそういうあやふやなものなのだ。マトリックスという映画はその曖昧な部分を見ている人に強化させる。この映画を見ることで、普段生活する上で曖昧にしている部分を浮き彫りにさせてくるのである。

マトリックスをはじめて見た時は、なんとも言えない不安な気持ちになった。今、ジムで見返していても、まさか「今の現実は実は夢なのかもしれない」などとは思わないが不安定な感覚にはなる。派手なアクションシーンもあり娯楽性も担保されているのでそれほどシリアスにはならないが、繰り返して見たくなるのはそんな意識をひっくり返すような危うい部分に惹かれるからである。