何度でもやり直す勇気を

制作物全般について思うことがある。それは時間を掛ければ掛けるほど良い物ができあがるということである。仕事であればそこには予算の問題が出てくるので、現実問題として「この仕事にはこれ以上の時間は掛けられない」という制約が出てくる。その中で最大限のアウトプットをしようとやり方を工夫しながら進めていくこととなる。

自分が色んな道具ややり方を駆使して効率化にとことんこだわるのは、ともかく時間を大切にしたいからだが、さらに言えば制作上の重要な部分にこそ時間を注力したいと思っているからである。

その注力するポイントというのが肝心で、実際に手を動かしている作業の部分にはできる限り時間を掛けないほうが良いと思っている。それよりも、手をつけ始めるまでの考える部分と、作り上げた後の見直しにこそ時間という資本を注入するべきだ。

仕上がりを考え、イメージをまとめていくのに時間を掛けるのはまあ当然として、見直しに時間を掛けるとはどういうことか。なんでもそうだが、制作をしている途中、ある地点を過ぎてくると完成させてフィニッシュしてしまいたいという欲求に駆られてくる。

文章でも映像の編集でも、制作をするというのは頭をずっとその一点に集中させていることなので、やっている最中は疲れるし結構、苦しいものがある。終わりが見えてくるとその苦しさから早く抜け出したい思いが出てくる。その結果、できあがったものを一旦俯瞰すると達成感を持ってしまうのだ。

しかし、見直すと言うのは間違いがないかを確認することでは決してない。要らない部分がないか精査して完成度を高めていくということである。この削るという部分がどうしてもおろそかになりがちだ。自分が作ったものをなくしていくのには、多少ならずとも抵抗が出てくる。しかもできあがった直後は高揚感がある。ここからストイックにどんどんと省いていくのは難しいことだ。明らかに不要な部分を直してしまえばそれでよしとしたくなる。

それでも、できあがった直後は満足していても、時間が経ってくると直したくなる部分というのが必ず出てくる。それはつまり、完成したという事実に執着を持ちすぎていて作品を客観視できていないということだ。作っている最中は完全に「これがいい」と思って主観全開で突き進んでも(でないといつまでも作業が終わらない)、一旦手を離したら客観的に良し悪しを判断できるよう鑑賞者の視点に立つことが肝心なのである。

デザイナーのディーター・ラムスは「より少なく、しかしより良く」と装飾を極限まで省くことを推奨しているし、小説家のレイモンド・カーヴァーは、創作のアドバイスとして「何度でも書き直せ」と言葉を残している。

できあがった後には、細かい部分にこだわるよりも全体の構成を作る上で不要な部分はないか、機能していない余分な箇所はないか鑑賞者の視点で見直すこと。そしてそのための時間確保を目的に作業効率を高めること。備忘録として。