「変わらないでいる努力」は虚しい

2015-08-10 8:03

完全に独り言レベルなのだが(まあブログは本来、独り言ですが)、最近ふと思ったこと。ITがインフラとして整った90年代半ば以降、自分たちの生活が急速に変わっていってしまっている。昔から人間は、食べて、飲んで、人と話して、排泄して、寝る、というのを繰り返していて根本的な営みの部分は変わらないのだけど、なんというかそれらを行うための手段が劇的に便利になっていっている。なので、本当に一つひとつの仕事を今の時代に即したやり方に最適化する必要があるし、大きな市場という単位では求められている商品やサービスがどんどん様変わりしている。

 

70年代〜90年代までは、基本的なシステムは変わらないまま経済のボリュームだけが膨張している状態なので、時代に対してリアクションをしていけば、成長することができていた。そういう成功体験があるので、昔から存在する業界の一部は今のような変化を求められる状況にあっても「時代に対してリアクションをするだけで昔のような状態で経営できる」、または「売上が落ちていても元に戻る時期が来る」、そのように錯覚してしまっているのではないか。

 

時代に対してのリアクションというのは、変化させようとする勢力に対して抵抗することも含まれる。つまり、「変わる努力」よりも「変わらないでいる努力」に資本を集中させてしまっているのである。昔から存在している業界で苦戦しているところなどを見ると、そんな印象を持ってしまう。

 

既得権益層が時代の変化(市場)に対して抵抗するというのは、まあそれは生存戦略として合理性のあること。それこそ昔は、消費者にとっての選択肢がほぼ日本企業にしかなかったからその戦略が成り立っていた。でも今では、Amazonやアリババなどを引き合いに出すまでもなく、海外企業の製品を本当に簡単に手に入れることができる。

 

日本であっても3Dプリンターをはじめ製作する機材がどんどん安価になっているので、個人レベルが発信する商品やサービスが企業と変わらないクオリティと価格で手に入れることができるようになっている。

 

「変わらないでいる努力」というのは、進んで衰退を受け入れるということなのだ。それほど虚しいものはないように感じる。

 


Category:生活

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