「やったもん勝ち」の意味

若いころによく「やったもん勝ちだから」という言葉を耳にした。

そのころ(20代)の僕は、その言葉の意味を額面通りにとらえていた。つまり物事には決められた席数というのがあって、どんな手段を使っても陰で何を言われようともそれを奪った奴が勝ちなんだ、と。「勝てば官軍」と同じような意味だと思っていたわけである。

若いころというのは物事や社会に対して身の程を越えた潔癖さを求めることもあり、そんな「勝つためには何をしてもいい」という考え方に嫌悪感を覚えたものである。

その言葉が出るたびにその場では空気を合わたとしても「まったく賛同できない」と思った覚えがある。

それでまあ月日がサクサクと過ぎていき、今の自分(40代)がその言葉を思い出してみれば、ちょっと解釈が違っていたなー、と思い直す。

どういうことかというと、前提として世の中には行動的な人というのはそんなにはいない

「ああいうことをやりたい、あそこへいきたい」と普段考えたり口に出したりしていても、それを実際に行動に移すのはごくごく一握りの人である。

習慣となっていることは別にして、人間というのはほんの些細な行動であっても、リスクの回避が頭をよぎり現状維持の選択をより多くとるものなのだ。

行動をすれば必ずリスクが伴う。なのでごく一握りの行動する人はやはり失敗もするのだけど、より多くのものを得ていくのも当然それらの人である。

そのような世の中にあって「やったもん勝ち」という意味を考えるならば、「やらない人間が大多数を占めるので、やったもんだけが勝者になる」という0か1かという趣旨の話だったのだと思う。

だとすれば、世の中は絶対的に「やったもん勝ち」である。タイミングを図る必要はあるけれど、行動しないまま与えられるものなどたかがしれている。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。