村上春樹についての備忘録 その1

何回か村上春樹についてのことを書いているので、せっかくなのでその読書遍歴について書いてみる。

現在でも村上春樹のことは好きで新刊が出れば買うのであるが、それは残念ながらエッセイや数種類の翻訳本、いくつかの短編に限られている。特に長編小説はもう新しいものは読まなくなった。読まなくなったというより、読むことをやめてしまった。「1Q84」は読了したので、その後の最新刊である「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は読んでいないということになるのだが。

この先の人生で、何かの拍子で手にとって読んでみることもあるのかもしれない。それでも、現状ではこれから出る長編小説を読むことに自分の時間を掛ける気がどうしてもしない。

初めて村上春樹の小説を手にとったのは、中学1年の春である。「羊をめぐる冒険」を姉が進めるので読んでみたのだが、これは三部作の最終章という位置づけなので今ひとつその良さがわからなかった。なので近所の書店へ走り、第一部でありデビュー作でもある
「風の歌を聴け」の文庫本を買ったのだった。その頃は確か、350円くらいだったと思う。自分のお金で初めて買った小説だったので、興奮したのをよく覚えている。

それで家に帰ってともかくページをめくってみたら、あっという間にその文体に惹かれてしまった。それまで小説といえば、国語の教科書に載っているものくらいしか読んだことがなかった。国語の本に載るくらいだから、内容は当り障りのないマイルドなものばかりである。ヘタすれば説教臭いものまで混じってくる。おもしろくも何ともないと思い、小説などには見向きもしなかった。

それが「風の歌を聴け」は、明らかにそれまで自分が読んでいた小説とは違った。なんというか、すごく自由に感じたのだ。「あ、こんな風に書いていいんだ。こんな表現をしていいんだ」と目からウロコが落ちる思いだった。

確かにバーに通う大学生の主人公がいて、孤独を抱えている女の子が出てきて、気障なセリフが随所に出てきて、設定が目につき鼻にもつく。当時「内容のない薄っぺらい小説だ」みたいな書評が出たそうだが、そういう感想にいたるのもわからなくはない。自分自身、きっと海沿いの街を舞台にした設定や、軽やかに自由に生きているように思える主人公たちへの憧れみたいなものも、惹かれる理由にはあったのだと思う。

しかしその後は、来る日も来る日もその小説を読み返していた。何がそこまで惹きつけるのかわからないが、それこそ頭から読み始めて最後まで読み、また頭からページをめくるというのを繰り返した。「内容のない薄っぺらい小説」というだけであるなら、そこまで何度も読み返すだろうか。

そののち村上春樹のエッセイなどからデビュー作における執筆背景を垣間見ることとなり、自分の文体を確立するための試行錯誤を知ることとなる。そのことを知るにつけ、「風の歌を聴け」に惹きつけられた理由もまた増えていく思いだった。(つづく)


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。