Facebookをやめたらどうなるか。時はあまりにも速く流れる

以前「フェイスブックをやめてよかったこと」という記事を書いたのだが、ブログの統計情報を見ているとこのページへ定期的に流入があることがわかる。検索に「フェイスブック やめる」とか、「フェイスブック やめてよかった」みたいなワードを入れた人がたまたま辿り着いているようである。

一定数そういう流入があるということは、「フェイスブックをやめたい」もしくは、「やめるとどうなるのか」ということに対してある程度の需要があるということだ。フェイスブックをやっている人の中で数パーセントの人たちは、なんとなく惰性で続けていてやめるきっかけを探しているのかもしれない。

ではすっぱりやめてしまえば良いと思うところだが、モロに身近な人間関係が絡むからそうもいかないのだろう。例えばフェイスブックに自分のことを登録しておくと、誕生日がくれば友達たちのタイムラインにそれが知らされて次々とお祝いのメッセージが来ることとなる。「返報性の原理」というのがあって、人は誰かに何かをやってもらうとそのお返しをしなくてはという思いに駆られる。なので誰かが誕生日だとわかれば、同じようにお祝いのメッセージを打たなくてはという思いが出てくる。

他にもプロフィール画像を変えれば、たくさんの「いいね!」がつくし、何かしらポジティブな報告をすればポジティブな反応を得られることとなる。フェイスブックをやめるとなると、そういった色々な小さな恩義を、一切、返せなくなるということがある。その心の引っ掛かりがあるのだと思う。あとは、みんながやっていて流行っているものは取り敢えずやっておかないと、話題に乗り遅れるという何となくの不安感というのもあると思う。

それでやめてみてわかったことを話してみれば、すごく単純な話、こういった返報性の原理に振り回されたり話題に乗り遅れるかもという不安感をの「原因」そのものがなくなるので、思い煩うことが一切なくなる。不安に思うことそのものが生まれないことになるので、心は穏やかなまま。空いた時間は自分にとって優先度の高いものへと当てることができる。

「フェイスブックをやめようかな、どうしようかな」と思ってこのページに辿り着いた人がいるならば、「取りあえず、アプリを削除して2週間だけやめてみてはどうですか」と言ってみたい。フェイスブックを見ることはすでに強固な習慣になっているだろうから、タバコなんかと同じでやめてすぐの一週間ぐらいは見れない苦痛が出てくるように思う。なので2週間ほどやめてみて、特に必要ないと感じたならそのまま見なくなってしまえばいい。「やっぱり特定の人のタイムラインは知りたいし、誕生日も祝いたい」と思えば、特定の人だけをタイムラインに出るようにして、限定的に続ければいいと思う。

時間というのはあまりにも速く流れていくものである。人の行動に対して「いいね」をつけて過ごすのが有意義な時間と思えないのであれば、まく少しでも「Facebookって必要かなー?」と感じこのページに辿り着いたなら、試験的に距離を置いてみるのが一考のように思う。