台湾一人旅 3-13 九份の歴史を俯瞰する

台湾旅行記の34回目です。

停留所に到着すると、バスに乗り込んでいる他の乗客たちと一緒に外へと出た。九份に着いての最初の印象は「寒い!」である。なんだか寒い寒いとばかり言っているようだが、台北に比べ標高の高い場所にある九份の気温はまた一段と低かった。

マウンテンパーカのジッパーをこれでもかと上に上げて、両手をこすることで起こる摩擦熱でわずかな暖を取りながら街中へと入っていった。

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九份の街は京都の祇園界隈を歩いているかのように、何本にも走る細い路地で構成されていた。

もちろんかつて日本の首都であった京都と違い、芸姑さんがしとやかに歩いているような上品な街並みではないのだが、いかにも観光客を相手にしている土産物店が軒を連ねる風情は、昔ながらの日本の温泉街を思わせる。

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この街はもともと、日本統治時代に金の採掘により栄えたそうだ。それが金を掘り尽くされたことによって急速に寂れていき、1971年には金鉱が閉山された。

その後、1989年に台湾映画の「悲情城市」のロケ地に選ばれたことから再び街は注目を集めることとなる。古い町並みが評価されて認知が広まり、観光地として盛り返すに至ったのである。

日本でも宮﨑駿監督が「千と千尋の神隠し」の着想時に、この街の情景をモデルにしたというような話が伝聞で広まり、台湾へ観光する日本人が足を運ぶスポットとしても定着するようになった。

大戦前には金を掘り起こすために日本人が来ていたところへ、時代を越え今度は観光客としてお金を落としに日本人が大挙訪れているわけだ。

歴史というのはその時代に応じての自然な行動で作られる。それらを時系列で俯瞰してみると「ああしていたのが結局、今はこうなった」みたいな意外性が見えておもしろいなーと思う。

その今は観光の街として栄える九份を、写真を撮りながら通って行った。人が多いからかそれともネオンの光が暖かく感じるからか、歩いているうちにそれほど寒さは感じなくなってきていた。

しかしどこを歩いても看板からは日本語が目に入る。耳を澄ませてみれば、道行く観光客からも日本語ばかりが聞こえてくる。

台湾という外国へ来たはずだけど、これだけ日本語に囲まれているとここがどこだかよくわからなくなってくる。

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ここらで夕食にしてみようと飲食店を物色することにした。いい加減、お米が食べたくなってきていたので、何かチャーハンっぽいものが欲しいなと路地を歩き回った。

そのうちに一軒の飲食店が目に入った。軒先に貼り出してあるメニューの一つに、望み通りの「チャーハン」という日本語の文字がある。

台湾に来てまで「チャーハン」を食べるのもどうかと思うが、日本語だらけの場所にいると無性に日本的なものが恋しくなってきていた。ここに入って台湾の最後の夕食にすることにしよう。(続く)


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。