台湾一人旅 3-15 ストーリーに人は反応する

台湾旅行記の36回目です。

九份という街は山の斜面に家屋が密集して建っている。暖を取ろうと1カ所に固まるニホンザルのように、海からの強い風を耐え忍ぶため肩を寄せあって過ごしているのだ。

そのため、間に走る路地は車も通れないようなごく狭いものとなり、また山沿いのため上へ下へとアップダウンを繰り返す道となっている。

「こんな細い道で、店の搬入はどうしているのだろう?」と素朴な疑問が湧き立つけれども観光客が一番賑わう時間帯に路地を歩いているため、業者らしきトラックも荷車の姿も見ることはできなかった。

路地を歩いている観光客の群れは、バラバラの方角を向いているようでいて多くの人は一つの方向へと歩いているようだった。

その流れについていくと細い道がいつしか階段へと変わり、下へ下へと降りていくこととなった。

23239712253_1f0b89b7ea_k

階段を降りきった先は、30メートル四方くらいのちょっとした広場になっており、突き当りには「九戸茶語」というレストランがあった。

歩いていた人の大部分はここを目指していたようである。皆立ち止まって一斉にスマホのカメラで写真を撮り始めている。

「九戸茶語」とはその名の通り数種類のお茶を楽しめる茶芸館のことだ。お茶だけでなく、小籠包を始めとした中華料理も食べられるらしい。

このレストランへ入るためというよりも、4階建てのレトロな外観と提灯が垂れ下がっている様子が一つの観光スポットとなっているようだ。

23239709693_4f8a588ba2_k

なるほど、いかにも「千と千尋の神隠し」に出てきそうな情緒的な光景である。

周りにはスマホを片手にした女性観光客がたくさんいた。おそらくほとんどが日本人のようだ。口々に聞こえてくる言葉のほとんどが日本語だった。

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったという話が広まらなければ、この九份という辺鄙な場所にここまで日本人が集まることはなかっただろう。その昔、金を掘り当てた炭鉱の町は、今度は観光資源という財宝を掘り当てたこととなる。

現代はあまりにも広告が増えすぎていて、人はちょっとやそっとでは反応しなくなってきている。「そんな人たちを動かすのはストーリーである」、とは最近良く聞く話である。

まさに自分を含め、九份と「九戸茶語」に集まる人々を見ると、ストーリーが大事だと感じてしまう。

「千と千尋の神隠し」が名作であり続け、宮﨑駿自身が九份をモデルにしたということを否定しない限りは、これからもたくさんの日本人がここを訪れるに違いない。

何しろ、僕自身がそうである。「宮﨑駿のようなヒットメーカーが着想を得たという街をこの眼で見てみたい」それがここに足を向けた一番の理由だった。

そしてこういう逸話は、観光客を当て込んで観光地自らが発信してもうまくいかないものなのだ。それこそ広告臭くなってしまい、誰も見向きしなくなってしまう。

意図的に話を作るのではなくて、「どうもそうらしい」という伝聞が、確証のないまま広がっていくというのが一番ストーリーとしては効果があると思う。

なぜならその噂に信ぴょう性があれば、それが本当なのかどうなのか、人はその地に行って確かめてみたくなるのだから。

こうして最後の目的地である九份という街の散策は終わりとなった。すでに時刻は19時30分を過ぎて、土産物店の多くは店じまいを始めている。

少し小雨が降り出してきていた。雨に濡れて風邪をひいてしまわないように、足早になって停留所のあった場所へと歩いた。(続く)