フェイスブックをやめても、何の影響もないです

以前、「フェイスブックをやめてよかったこと」という記事を書いた。実はこの投稿には、ほぼ毎日アクセスがある。

「フェイスブック やめてよかった」などで検索をすると、検索結果の1ページ目に出るようである。

なのでフェイスブックをやめたい、もしくはやめたらどうなるんだろうと考えている人がそのワードで検索をし、順番にサイトを見ていって上記の記事に辿り着くという感じである。

そしてほぼ毎日、この記事にアクセスがあるということは、毎日一人以上は「もうやめたいな」と思っている人がいるということである。

「だったらやめればいいのに」と思うけれどフェイスブックはそんな単純なものではない。

知り合いのいないスポーツジムをやめるのとはわけが違う。「社会生活」と「人間関係」にがっつり関わっていることなのでそう簡単にやめられないという意識が働くのである。

でも、やめた自分が言うので間違いないことなのだが、フェイスブックは「社会生活」と「人間関係」のインフラになっているけれどやめたからといって変な風に思われるということは全然ないです。

おそらく周りの人は、「ああ、そう言えば最近見ないね」と思う程度。いや、ひょっとしたらそれすらも思わないかもしれない。

僕は投稿を見なくなってもう1年近くが経つけれど、「最近『いいね』押してくれないね。やめたの?」みたいなことは一度たりとも言われたことがない。それで人間関係が急速に悪化したかといえば、もちろんそんなことも全然ない。何も変わらない。

なので、「やめたいけど友達になっている人からなんて思われるだろう」みたいな感じの不安は考えなくて大丈夫。

スマートフォンを多くの人が持つようになってから、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が急速にユーザーを増やした。今、ぱっと思いつくだけでも、フェイスブック、twitter、Instagram、LINE、Pinterest、Tumblr、Vineと相当の数のものがある。

これらは多くの人とネット上でやり取りができるのでとてもおもしろいものではあるのだけど、フェイスブックやtwitter、Instagramのようにタイムライン投稿型であれば、人目を引くような内容のものを書きたくなってしまう。

何しろ、評価の値が数値となって現れるのだ。まったく「いいね!」がつかないより一人でも多くの人から評価を受けたくなる。それは競争本能なので、とても自然なことである。

そして自分の投稿へフィードバックをもらいたいという理由もあって、別の人の投稿に対してもポジティブな評価をするのが習慣になる。そうして一度互助の関係ができたように感じると、なかなか抜け出せなくなる意識が働く。やめたくてもやめられない思いとなるのはこのような感じではないだろうか。

しかし短文や写真で人目を引き、それの評価をそわそわして待つというのは健全な精神を生まない。想定より多く拡散されれば動揺するだろうし、少なく評価されれば気が落ち込む。精神の余計なアップダウンを生み出してしまうのである。もし平穏な時間を求めているとしたら、SNSはそれとは真逆なものとなる。

やめたいと思ったならば、やめるが吉である。そしてやめたとしても、タイムラインという巨大で絶え間ない流れの中にあっては、自分が気に病むほどの影響はほとんどないのだ。