村上春樹が人気のある理由

村上春樹の1997−2011までのインタビュー集である「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」をもう少しで読み終わる。

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文庫本で600ページ近くもある相当な文字量の本で、しかも内容がかなり濃密なので中々読むのが進まなかった。「インタビューにほとんど応じない」と言われている村上春樹だけど、その分、エッセイはたくさん書いている。読者としてはしょっちゅう村上さんの発言を耳にしているような感覚にはなっている。

この本に書かれているインタビューも、例えば1978年のヤクルト戦を外野席で観覧していた時に「ふと、小説を書こうと思った」といった話などは、熱心な読者であればすでに知っていることだろう。

それでも日本だけでなく欧米の編集者や小説家たちが色んな角度から質問を投げ掛け、それに丁寧に答えていくという形式のこの本はとても読み応えがあった。読み終えてからも適当なページをめくってたまに読み返してみたいと思う。

このインタビュー集を読みながら気づいたことが一つある。それは、「村上春樹がこれほどまでに人気のある理由」である。

それはもちろん、読みやすい文体や引き込まれるストーリー、笑えるユーモア、巧みな比喩表現など色々なものが複合しているとは思う。

その中でも大きな理由の一つとして思うのは、村上春樹が組織に依存せず世間のしがらみなどを振り払い一人で黙々と仕事し続ける姿、その部分に読者は強く共感しているのではないだろうかと思い至った。

というか、僕自身がこのインタビュー集を読みながら、そう感じたのだ。「ああ、こうして組織に頼らず一人きりで仕事する村上さんの姿を好きなんだな」と。そのことを強く思ったのは、小説家・古川日出男が聞き手となる465ページからの「るつぼのような小説を書きたい(『1Q84』前夜)」というセクションを読んだときである。

村上春樹は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を書いた直後に陽子夫人と共に日本を出てヨーロッパでの生活を始めるわけだが、その当時の心境を次のように語っている。少し長いですが、引用してみます。

「当時はね、作家と批評家と編集者がサークルみたいなものを組んで、機能しているような時代だったんですよ。だからどっかのサークルに属して、ポジションを持っていないと、もう今じゃわからないだろうけど、けっこう切迫感というか、孤立感みたいなものを感じざるを得ないところがあった。

(中略)僕みたいに『味方も求めず、敵も求めず』という原則でやってると、まわりにほとんど敵しかできないという状況になってくるんですね。

(中略)僕としてはただ『個人業』として、一人でこつこつ仕事をしていただけなんだけど、なぜか目立つようなことになってしまって。

(中略)だからとくに何があったというわけではないんだけど、空気的にね、もう日本でうろうろしていてもしょうがないな、という気持ちになってきたんですよ。」

いくつかのサークルがあるのならば気の合いそうなところにとりあえずの籍を置いて、波風立てずにやり過ごすこともできたのではと思う。

大御所となれば独立独歩でやっていても黙認されるだろうけど、このころの村上春樹はまだデビューから5、6年で新人作家の部類に入る。アメリカ小説を意識した独特の作風でただでさえ文壇の中で悪い意味で目立っていたはずだ。

そういういわば向かい風の状況にあって、どこにも属さず「一人でこつこつ仕事する」ために自分の環境を主体的に変えていったのだ。

今のようなネットが発達した国境フリーの時代ならいざ知らず、80年代に外国へ移り住むというのは言わばファンタジーに近い別世界の話のようなものだっただろうと想像する。

そのくらい大きなハードルであっても「煩わしさ」から逃れるために、知る人のいない海外へと紙とペンを携え出て行ってしまう。こういう部分が強いと思うし、うらやましい資質だと思う。

自分を含めて、社会で生活し仕事をしている人の多くは、活動する圏内のところどころに組織があり色々なしがらみの中で生きているはずだ。とても面倒なものではあるのだけど、社会で生きていくというのは「そういうものだ」と割り切っている部分がある。

だからこそ、どこにもいい顔をせず一人だけで仕事することを選び、成功を収めている村上さんが言わばヒーローのように見えるのだ。

村上春樹の初期〜中期の頃の作品、「ねじまき鳥クロニクル」ぐらいまでに登場する主人公も、組織に属さず一人で生きていく姿が描かれている。そういった主人公やそれを書く村上さんの仕事に対する姿勢を見たとき、心の奥底では自由を切望している多くの読者がシンパシーを感じる。

高い人気を誇っているのはそんなところに理由があるのではないだろうか。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。