日本の音楽は「思春期あるある」だった

日本の音楽の状況って、今はどういう感じなんだろうか。CDが売れなくなっている昨今、90年代くらいに比べて、盛り上がっているとは考えにくい。

調べてみると、以下の様な記事を見つけることができた。

合わせても3000億円割れ…日本の音楽CDと有料音楽配信の売上動向

この記事の中の、音楽ソフト・有料音楽配信の売上推移(1990~2014年)という棒グラフによると、音楽ソフト(CD・カセットテープなど)の売上ピークは1998年である。この時に約6000億円を記録している。

その後、売上は下降していくが、2005年にケータイの有料配信などの売上が加わり、そこからしばらくは前年度比を上回る復調をみせる。

しかし2009年からは再び下降曲線を描いて、昨年度はピーク時のちょうど半分の約3000億円となっている。15年足らずで産業の半分の売上が消滅してしまったのだ。

最初に書いた通り、CD一本槍だった90年年代に比べ、今は色々な聴き方に細分化してしまったのが売上減の大きな要因であろう。

極端な話、YouTubeからのみ聴く習慣ができてしまえば、いくら曲そのものが流行ってもアーティストやレコード会社側に報酬はまったく入らないのである。

こういう構造上の問題が大きいとは思いつつも、もう一つには音楽を聴く側の考え方や環境が変わってきたというのもあると思う。

音楽に一番、夢中になるのはどの層か。それはやはり10代である。自分たちが10代だった80年代後半〜90年代というのは、周りの誰もが耳からイヤホンをぶら下げて音楽を聴いているような時代だった。

邦楽が圧倒的に多く、少数派として洋楽好きも中にはいた。それぞれが自分なりのこだわりを持って音楽を楽しんでいたが、その時の流行りの音楽というのは確かにあった。

日本の音楽として流行っていたグループをつらつらと上げてみると、

ブルーハーツやジュンスカイウォーカーズなどのパンクロック、
TMネットワーク、米米クラブ、プリンセスプリンセス、サザンオールスターズ、
ドリームズ・カム・トゥルー、CHAGE and ASKA、
そしてB’z、ZARD、WANDSといったいわゆるビーイング系などなど。

こういった人たちの魅力は何かとすごく大雑把に書いてしまえば、それは詩の力にあった。当時の10代の若者が共感してしまう詩や言葉が、いたるところに散りばめられていたのだ。

ロック系の歌であれば、学校など体制に対する反発を。恋愛系の歌であれば、思い焦がれて叶わない切ない恋心を。もしくは自分は自分のままでいい、というような自己啓発系。

それらを聴けばつい自分の身の回りに起こっている出来事と詩の情景を重ねてしまい、自分だけのオリジナルのドラマを頭の中で作ることができた。それが日本の音楽の一番の魅力だったように思う。

要するに日本の音楽というのは、「思春期あるある」だったのである。

それが今の世の中は、若者への共感を生み出しにくい状況になっている。

体制への反発を詩に書こうにも、彼らはそれほど縛り付けられているわけではない。恋心を描こうにも「LINEが既読スルーで悲しい」とかでは、スマホを眺めているシーンしか想起されず美しい情景が生まれにくい。そういった環境の変化がまず第一にある。

また、盗んだバイクで走りだせば、「それやっちゃだめでしょ」と冷静なツッコミが入るだろうし、「会いたくて偶然を装って同じ店に入ったの」みたいな歌詞を書けば、ストーカー呼ばわりで気持ち悪く思われるだろう。

以前は情景そのものがぼやけてアナログ的だったのに対し、今はデジタル的でクリアである。

詩に行間を作っても、その抜けた間を冷静に考えてしまう。あいまいな部分をあいまいなままで捉えず、客観的な分析で解読を試みられてしまうのだ。

これではよほど普遍的なものを際立った言葉と曲で作らないと、一度に多くの人の気持ちを捉える詩というのは生まれにくい。

こういった状況の中、この先、音楽も書籍と同じようにして消失点に向かって突き進んでしまうのだろうか。

音楽や文学というのは気の遠くなるような長い年月でゆっくりと育てられてきたものなので、この世からなくなることは絶対にない。

それでも、大きな企業を媒介とし大量生産・大量消費するという現象はもう過去のものになるような気がする。