一杯のコーヒーから教わること

2016-05-19 8:04

相変わらずコーヒーを豆から挽いて毎朝飲んでいる。今もキーボードを打つ手のすぐ横には、淹れたてのコーヒーの注がれたマグカップが置かれている。

そんなに頻繁に思うことではないのだが、たまにコーヒーを淹れている時に考えることがある。

コーヒーというのは、ある日突然、完成品が生まれたわけではない。まずは大昔に生豆をそのまま食べてみた人がいたのだ。

そして「なんだこれは?食えたもんじゃない」とすぐに吐き出した。ジャングル奥地に起こったほんの些細な出来事である。

話はそれで終わらずさらに好奇心旺盛な人が、お湯で煮立たせてみようと考えた。煮えたコーヒー豆を食べてみたがとてもじゃないが美味しくない。

そこで別の誰かがコーヒー豆を煮立たせた残り汁を飲むことを思いついた。いつも食べている果物や野菜なんかと合うんじゃないかと思ったのだ。

その結果、「あ、結構イケる!」となり、一度、豆自体を炒って潰してからお湯と混ぜたほうが美味しくなるんじゃないかと、焙煎されるようになる。

そうしてその黒く苦味のある飲み物は、いつしかコーヒーという名で定着するようになった。

コーヒーの噂は隣町へ広がり、市から大陸中へ、さらには国をまたいで伝わっていく。

「このコーヒーという飲み物は、こうすればもっと美味しくなるんじゃないか?」と考える人が世界各地に現れ、色々と工夫がなされるようになる。

品種が開発・改良され豆の種類が増えていき、煎り方も浅煎りや深煎りなどバリエーションが生まれてくる。

もはやコーヒーなしには、人類は自分たちの生活を語れないほどである。

すっかり人々の暮らしへ定着すると、コーヒーのチェーン店が街中に次々と誕生していった。

そのうちのバリスタを備えたとあるコーヒーショップが世界中を席巻していくまでに成長を遂げる。

コーヒーの美味しさに気づいた人々は、コーヒーとともに過ごすよりよい時間を求めてハンドドリップで淹れるサードウェーブコーヒーの潮流が起こりはじめる。

そしてコーヒー豆にもっとこだわりたいという欲求が高まった結果、農園が特定されたストレート豆のシングルオリジンコーヒーが注目を集めるようになる。 ←今ココ

つまり、今キーボードのそばに置いてあるコーヒーというのは、様々な歴史をくぐり抜け洗練されて生まれてきた美味しさなのである。

そのコーヒーを見つめながら、ここにいたるまでの長い歴史を思い、「変化」についてふと考えることがある。

最初に生豆を食べてみて、「なんじゃこりゃ?食えたもんじゃない」で話が終われば、コーヒーの歴史が始まることはなかったし、その後、焙煎法を編み出したり、豆が改良され淹れ方が発展していかなければ、美味しいものには成り得なかった。

変化のないところに進化はないのである。

今日は昨日より何か少しでも変えてみる。それを毎日、怖がらずに続けていく。

たまに生豆を食べてみた人のように失敗をやらかすこともあるが、それは「このやり方ではなかった」ことを知るために必要な過程なのだ。

それらの積み重ねで今の自分は、去年の自分、10年前の自分よりも大きく前へ進んでいける。

そんなことを考えながら、朝起きてからの最初の一口を今日も啜る。一杯のコーヒーからでも教わることは意外と多い。


Category:コーヒー

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