達成感は邪魔なもの

日常的に執筆やデザイン、動画を作成し納品するということを行っていると、「気をつけなきゃな」と思うことが出てくる。そのうちの一つが「達成感にひたらない」ということ。

何かを作っていくというのは楽しい部分もあるしまた苦しい側面もある。

仕事でやっているのだから、まず納期がある。自分の中で「この仕事はこのくらいしか時間を掛けられない」という予算制約もある。もちろん、クライアントからの「こういう風にしてほしい」という要望もある。

そういった諸々の条件のもとで制作をしていくと、やはり苦しい面というのは出てくる。そんな中で「もう完成間近だ」「あと少しで終わる」と思うと嬉しくなってくるが、一度初稿を上げた後は何度も見返すことが必要だ。

作っている過程というのは、頭の中の見取り図を具現化しているだけのこと。その後は、形作られたものが果たしてきちんと成立しているか、市場に出せるだけの水準を保っているのかを客観的な目で確認し修正していかなくてはならない。

この客観的な判断をする時にすごく邪魔になるのが、達成感なのである。

達成感に浸かってしまうと、どうしても作った制作物に対する審査の目が甘くなってしまう。「達成できた、完成できた」という高揚感が邪魔をして、冷静な分析ができない。

ただでさえ、自分が手掛けたものを客観的に見るというのは至難の業である。初稿を仕上げたくらいで息も切れ切れにゴールテープを切るイメージを持ってしまっては、そこから完成度を高めていくことなどできない。

このことを回避するための唯一の方法は、手を速くすることだと思う。

考える時間が長く掛かるなら、より速く適切な答えを導き出すためのロジカルなツールを使うべきである。ソフトの操作に物理的な時間が掛かるのなら、1秒でも速くする方法はないかと日々考えるべきである。

そもそも達成感というのは、掛けた時間と労力に対して比例する感情だ。作業時間を短縮し時間的な余裕を持つことができれば、それだけ達成感はやわらぎ見直しに掛ける時間もゆとりも出てくる。

そういえばこのブログ書きも、最初は1時間以上掛かっていたから書き終わった後はそれなりの達成感があった。今は見直し含めて30分かからないので、息を吸って吐くくらいに習慣の中へと溶け込んでしまっている。

呼吸することに達成感を持つ人はあまりいない。心の波を持たずに、制作は呼吸と同じように淡々と。つまりは、達成感とは無縁のものとしたい。