AIが仕事を奪うときは本当に来るのか

人工知能(AI)と聞いて何を思い浮かべるだろうか。ある人はプロを打ち負かす囲碁や将棋のコンピューターのことを思うかもしれない。ある人は、障害物を避けながら決められたルートを走る自動運転車を考えるかもしれない。

AIが活躍している未来を考えると自分はワクワクしてしょうがないのだが、一方ではネガティブな意見もある。人間が行なっている仕事をAIが奪ってしまうという懸念である。

販売や配送などはすでにその一部が置き換わってるし、先日のニュース記事では執筆も将来的にはAIが行うだろうと書かれていた。

自分にとってメインの仕事の一つは執筆である。これは困ったことである。雑誌も売れなくなる一方だし、肝心の執筆もAIに置き換わる。未来は暗いことばかりだ。…とは、思わない。

今、行なっている仕事すべてをAIが奪っていくとしても、やはりワクワクしてしまう。そんなドラえもんみたいな未来が早く来て欲しいし、その中で生活をしてみたい。

コンピューターの良い点は、プログラミングしたことを忠実かつ正確に行なえるところにある。写真であれば、人間が撮影すればピントや構図が甘かったりするところ、コンピューターは正確にそれらを捉えるし編集もイメージ通りに完了できる。

最終的な調整は人間の手が必要になるだろうが、こういった未来は現実のものになりそうだ。

こうして考えると、やはり自分がやっている仕事はコンピューターに置き換えが可能である。本当に自分の仕事はなくなってしまうかもしれない。

しかし自分の中に不安感はない。なぜだろうか。

一つには、ほとんどの仕事をAIが行なうようになれば、必然的に人件費という最も大きなコストが下がり、色々なものの価格が劇的に下がるだろうと思っている。

これまでの5分の1に物の値段が下がれば、単純な話、労働も5分の1で十分になる。仕事に投入する時間が極端に少なくなり、自分への投資にこれまで以上の時間を掛けられる。これは素敵な未来である。

もう一つは、やはりAIには人間を前に越えられない壁というのが存在する。それは人間だけが持ち合わせているニュアンスである。これはAIへプログラミングできないものだ。

明け方の空を見て美しいと思うのは、説明のできない感情だ。ある人にとってはその空に希望を感じるかもしれないし、その日の午前中に重要な会議を控えている人には、心を奮い立たせる決意の空に見えるかもしれない。そういう人間の持つ感情の揺れは、AIに組み込むことはできない。

コンピューターの得意分野は、明確に正解がわかっていることを正確に再現することにある。AにBを混ぜればCになるという事実にゆらぎがなければ、その流れをAIは正確かつ敏速にこなすだろう。

しかし考えてみれば、人間の営みというのはゆらぎだらけである。それらを補うのが、自分たちが備えている説明の付かないニュアンスという部分である。それは仕事をする場合でも、色々な部分で必要となる。

なので一日でも早くもっとAIが普及しもっと便利な世の中になって欲しいと思いつつ、AIが人間の仕事を奪い失業者が続出する、そんな悲観的なシナリオには決してならないと思っている。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。