タイ旅行記 2-5 お金の稼ぎ方は無限にある

タイ旅行記の26回目です。

ということでたくさんの人が行き交うカオサンロードを歩くことにした。飲食店や雑貨店、マクドナルド、ケンタッキーなどがある中、タイ式マッサージの店も建っていた。

路上にはみ出すくらいにベッドを並べ、寝そべった旅行者の足をもみほぐしている。せっかくなのでタイ式マッサージを体験してみたい気がしたが、蒸し暑いところで足を揉んでもらうというのがどうも抵抗があってスルーすることにした。

そうして歩くこと5分ほどでカオサンロードの終点にまでたどり着いた。ここまで来たら後は戻るのみである。引き返そうかと踵を返したところ、カオサンロードのど真中を歩いているおばあちゃんの姿が目に入った。

どうやら目が見えないようである。道路の中央には幅3センチ深さ2センチほどの溝があり、真っ直ぐ歩けるようそこに杖を入れてゆっくりと歩いていた。

肩にはスピーカーがぶら下げてあり、タイのポップソングらしき音楽をものすごい音量で流している。

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不思議な光景だったので、そのおばあちゃんが何をしているのかさらに観察してみた。肩にはスピーカーの他に募金箱のような容器を下げていた。それでようやく理解することができた。つまりおばあちゃんにとっては、こうして音楽を鳴らしながらカオサンロードを歩くことが仕事なのである。

「音楽を流してくれてありがとう」と道行く人の中には、お金をあげる人がいるのだろう。そうして一日に何度も音楽を鳴らしながらカオサンロードを往復し、お金を稼いでいるのだ。

なんというか、この光景を見て言葉にならない色々なことを思った。それは物悲しいものではなくて、もっとポジティブなものである。つまりお金を稼ぐ方法というのは無限にあると今よりもっと自由な気持ちになれたのだ。

お金を稼ぐにはどうしたらいいだろうか。社会へ出てすぐの頃であれば、収入を得る方法はどこかの会社に勤めるということしかないように思える。

少しでも安定した保障が欲しいため、バイトよりも契約社員、そして正社員という風にポジションを得ようと考える。そしてその路線から外れてしまうと、もう社会のメインストリームから外れたようなある種の絶望感を味わうことになる。

これは一般的にそうだという話ではなくて、自分自身がそうだった。起業してお金を稼ぐというのが自分とはまったく関係のないものと思えていて、お金とはどこかに属し労働することで定期的に与えられるものという意識が強かったのだ。

その頃の自分は脆かったなと思う。生き方には一般的な「型」があると思い込み、他人の価値観に寄り添った安心を得るため、そこに自分を当てはめようと懸命だった。そしてそこから外れたり入れなくなることにより、ものすごい劣等感を自分自身で生み出していたのだ。

改めて道の中央を歩くおばあちゃんに目を向ける。音楽を鳴らして繁華街を歩き、お金を稼いでいる。素晴らしいと思う。お金を稼ぐアイデアというのは無限にある。昔の脆かった自分であったら、この光景を見て何を感じただろうか。何も感じなかっただろうか。

ゆっくり歩くおばあちゃんを横目にして、カオサンロードのもと来た道を戻った。後ろから聞こえるタイのポップアップの音色が、次第に小さくなっていった。