仕事を楽しくやるには

最近、「いかに楽しくやるか」ということに行動の主軸を置いている。

そもそも「楽しくやる」とはどういうことだろう。

これは論理的なことよりも感情を優先させることなんだと思う。論理的に考えて行動しようと思えば、まずは効率を考える。そして未来に受け取れるリターンのことを想定もする。

一方、「楽しくやる」というのは、効率やリターンのことをあまり考えない。というよりこの2つを頭から追い出せば追い出すほど、「楽しさ」へ近づけるように思う。

では何を考えるか。それはもうやっていて「楽しい!」と感じる感情である。バカみたいな話だけど、「楽しくやる」には感情が「楽しい!」と思わないとできない。頭ではなく、肉体で感じる部分が大きいのだ。

「楽しい!」と思ったら胸が高鳴ってくる。視野が狭くなってくる。行動そのものに夢中になってくる。時間を忘れてしまう。いつまでもやりたくなってしまう。

こう書いてみるとやっぱり効率やリターンとは縁のないものだ。

最近思うのは、ものすごく楽しみながらやったことと、論理的に考えてやったこととではできあがりの質が違ってくる。

もちろんミスのないのは論理的に作ったものの方である。効率よくやる際には、リスク低減は欠かせない。無駄が発生しそうであれば、そちらには手を出さない。最短かつ安全な道をサーチして選択する。そういったことが基本行動になるからだ。

でもそれだと、できあがりが退屈なものになる。それは見ている人には気づかないことなのかもしれないけど、作っている方にしてみればわかる。

「ああ、この作品はミスを避けて、枠からはみ出さないよう気を遣いながら作ったものなんだよな」と。

つまり論理的な行ないというのは、リスクを取らないことと言い換えが可能なのだ。リスクを取らないから自分の想像の範囲内に必ず収まる。それはプロの仕事としては及第点である。ものすごく正しい行いだと思う。

しかしもう40歳を越えてから数年が経ってきて、果たして及第点を取るための仕事に時間を使っていていいのかという思いが出てきてしまった。

もちろん利害が発生する以上、ミスはとことん少ない方がいいし、枠からはみ出せとばかりにハチャメチャなものを押し付けてもいけない。

それは当然のこととしてわかっていつつ、その路線を踏まえた上でもっと自分自身が楽しんで、没頭してやることができないだろうか。

文章を書くにしろ、企画を考えるにしろ、写真を撮るにしろ、自分が「楽しい!」と思える感情の領域へ踏み込んでいくことはできないだろうか。

そんなことを思って、一つ一つの仕事を「もっと楽しくやるにはどうしたらいい?」と工夫しながら行なっている。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。