メールのCCって要りますかね?

メールのやり取りをしていてすごく疑問に思うのが、「CCって、必要だろうか?」ということである。

CCとはCarbon Copy(カーボン・コピー)の略称である。「あなた宛に送ったものではないけど、一応目を通しておいてください」というのが暗黙のルールだ。

仕事というのは直接の担当者同士で完結するものではない。利害の絡んでくる人が他に何人かいるというのが通常である。

そういった利害関係者への情報共有という意味で使うこともあるし、一番よくあるCCの使い方としては直の担当者の上司へもCCをつけ進捗の報告を兼ねるというものだろう。

この方法を初めて聞いた時には、ものすごく便利なものだと関心したものである。

やり取りをそのまま見せれば確かに報告の手間が省ける。途中で変な方向へ行くようであれば、別の人からのチェックが入り早めに軌道修正が可能となりそうだ。

しかし、である。

聞くところによると一般的な会社のマネージャークラスであれば、一日に受信するメールの量は100件を軽く越えるそうである。当然その中には本人宛のメールだけでなく、CCも多く含まれるだろう。

100件を越えるメールって、すごいなと単純に思ってしまう。そういう人たちは、一体、メールの処理でどのくらいの時間を使っているのだろうか。

目を通すだけでも一本につき1分は掛かるだろう。100本なら100分である。メールチェックだけで100分以上も使うというのは、ちょっと自分の感覚ではどうしてもばかげているように感じる(すいません)。

そこまで受信本数が増えると、「CCのメールであれば開かないでいいか」というようにスクリーニングする人も出てくると思う。時間は限られているので、仕事には優先順位を付けざるをえない。

だとすれば、見てもらう予定のない人へわざわざCCをつけていることになる。その手間は純粋に無駄である。

また、CCがついていれば業務を担当している人の当事者意識が薄れてしまうのではないかという懸念もある。

一つ一つのメールに上司へのCCをつけていたら、「この業務の責任者は自分ではなく上司」というのを無意識に思ってしまい、プロジェクトに対する責任感がそれだけ薄くなってしまうのではないかだろうか。

僕はクライアントからの指示がない限り、CCをつけて送信することをしない。その理由はやはり無駄だと思うからである。

また同じように、CCでの受信は必要性を感じないので極力断っている(進捗が聞きたければ直に聞く)。このやり方でなんら不都合なことは生じていない。

こうして考えると、ビジネスメールにおいてCCをつけるという行為は、百害あって一利なしのように思えてならない。

一利なしは言いすぎか。一利ぐらいはあるかもしれないけど、ともかく思考停止で「みんながやるから」と惰性で使っていないだろうか。ツールを使うことで生産性を落としていたら、それは本末転倒だと思うのだがどうでしょう。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。