パラダイムを疑え

パラダイムという言葉をご存知だろうか。グーグル検索で「パラダイムとは」と入力すると、「ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み」と出る。つまりパラダイムとは、その人が持っている常識や先入観という言葉に置き換えられるかと思う。

この考え方の枠組みであるパラダイムが変わることをパラダイムシフトという。

なぜ突然こんな話をはじめたかといえば、一度できてしまったパラダイムを変えること、パラダイムシフトを起こすことはとても難しいという考えを最近、改めて思ったからである。

すでに秋めいてきたとはいえ、外はまだ暑い日が続いている。車を運転していれば当然のようにクーラーを僕はつける。なぜなら暑いからである。外の気温が高いから、車の中も暑くなる。これは当然のことで、それを不快に感じるからクーラーをつける。これが僕のパラダイムである。自分の中ではまったく矛盾点がない。曇りひとつない。

しかし道を車で走っていると、いくら暑い日であってもすべての窓を全開にしている車を見かける。クーラーをつけずに外からの風を取り入れることで心地よさを実現しようとしているのだ。もちろん窓を締め切ってクーラーをつけずにいるよりよほどマシだろうが、外気自体が高い温度を保っている状態である。そんな生温く高湿度の空気を入れたところで不快さは低減できないのではないか。

そんなことを考えて「どういう人が運転しているんだろう」と横目で見ると、ほとんどが高齢者なのだ。ここで僕はすべてを理解する。クーラーより外気が心地良いと思ってやっているわけではない。彼らにとっては「クーラーをつけない」ということがパラダイムなのである。

おそらく戦後から団扇や扇風機で育った世代なので、「クーラーは贅沢品」という考え方が固まってしまっているのだと思う。クーラーを使用すること自体に罪悪感を持ってしまうのかもしれない。

確かにクーラーは贅沢品かもしれない。つければそれだけガソリンを消費することになる。ひと夏をクーラーを稼働して走行すれば、つけなかった場合に比べて1,000円〜2,000円くらい余分にお金が掛かってしまうかもしれない。

しかしちょっと考えてみて欲しい。クーラーをつけなければ、熱中症になるリスクが格段に高まるのだ。身体がだるく倦怠感がでて、仕事をしている人なら生産性が低下するかもしれない。そう考えると1,000円や2,000円の出費がもったいないとクーラーをつけずにいて、結果的に熱中症で病院にいくことになったり、体調をくずして仕事を休むはめになったりすれば経済的損失はそのほうが大きいのではないか。

経済的に損失のリスクが小さく、なおかつ車の運転も心地よくできる。そう考えると車の運転中は必ずクーラーをつけるというのは、どこに出しても恥ずかしくない立派なパラダイムだと思う。でも窓全開に走っている人へこういった話をしてみたところで、感心はされるかもしれないが決してクーラーをつけることはしないだろう。一度手にしてしまったパラダイムというのは、それほど強固なものなのだ。

なので僕は夏に窓全開の車を見かける度に、自分がすでに持っているパラダイムが果たして正しいかどうか、そのことを改めて疑うようにしている。