スマートフォンは現在の形が最終形態

iPhone7に関する以下のような記事を目にした。

「退屈なiPhoneにふさわしい退屈なスーパーマリオ」 米記者が痛烈批判

内容はタイトル通りである。最新版のiPhoneはイノベーションがない。また発表会で多くの時間を費やした「スーパーマリオラン」もレトロゲームをスマホへ移植しただけのものだ。

そのため最先端のiPhoneとキラーコンテンツのマリオはともに保守的で退屈なものにすぎない、という論調である。記事の締めは「新製品発表会当日に、アンドロイドに乗り換えた」となっている。

確かにこの記者の方の言う通りだと思う。今回のiPhoneに、特段、驚くような部分は何もなかった。

かといってiPhoneよりも革新的なアンドロイドってあるんだろうか。こういう論調の記事では「アンドロイドへ移ることにした」という結びをよく見るのだけど、では何に乗り換えたのかも記載してほしいと思う。

iPhoneよりも革新的なアンドロイドがあるなら、それも試してみたいと思うからだ。

こういった記事を読み、新発売となったiPhone7を実際に使ってみて思うのは、「表面がディスプレイで、片手で持てて、ディスプレイに指で触れて操作する」というコンセプト自体が革新的なものだったということである。

アンドロイドであっても、その後の商品はこのコンセプトから逸脱することなく、表面上のデザイン的な処理や加工の仕方でバリエーションをつけているだけである。

なのでiPhoneの発表があるたびに聞かれる「イノベーションがない」という発言には、少し違和感を覚える。

例えば同じ工業製品である自家用車を考えてみたい。

ウィキペディアによると、自家用車と呼ばれるものが誕生したのは1769年のことである。その時は蒸気を動力としてタイヤも木で作られたものだった。

その後、時を経て1885〜1886年になりガソリン自動車がドイツで誕生する。その数年後に空気入りのタイヤが発明され、現在主流の丸型ハンドルも搭載されるようになった。

ここまでが約100年前の出来事になるが、自動車はこの時に現在の形ができあがったといってよい。

大きなイノベーションはこの時点で完了したのである。もちろんその後、居住性を高める工夫がなされたり、コンピュータが内蔵され安全性が高まったり、電気とガソリンの両方で動くハイブリッドが開発されたりと進化は進んでいくが、基本的な形は100年前から変わっていない。

しかし自動車メーカーが新型カーを発表した際、例えば、空を飛んだりだとかタイヤ以外で車体を支えるものができたりとか、そういうイノベーションを起こさなくとも「革新的でない」などといった批判は世間から浴びない。

これはなぜかというと、自動車というコンセプト自体がコモディティ化したからである。車というのは「4つのタイヤがあり、シートがあり、燃料を注入することで動く」ものなのだとみんなが認識するようになったのだ。

ここでスマートフォンの話に戻るが、来年でiPhoneが誕生して10年になる。

この10年を振り返ってみると、iPhoneというのは驚くほどそのコンセプトを変えていない。

表面の加工が変わったりカメラの写りが良くなったりCPUが高速になったり、全体的な性能の底上げはなされているけれど、「表面にディスプレイがあり、片手で持てて、指で操作する」という姿は最初から変わっていないのだ。

「イノベーションがない」と言う人は、どのような変化を求めているのだろう?

もちろんこの先、全面が太陽光パネルになったり、タップの必要がなく脳内のチップから指示を送れるようになるかもしれない。

それらが実現すれば革新的なことと言えるだろうけど、自動車が「4輪でシートを乗せ、燃料で走る」というコンセプトを変えないように、スマートフォンも今の形態から大きく変わることはないと思う。

もうこの辺で気づいてはどうだろうか。スマートフォンというのは、今の形態が最終型なのだ。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。