主体性を発揮するのは難しい

「主体性」という言葉が、去年の自分は一つのキーワードになっていました。主体性とは何か。簡単な話、「受け身でない」ということですね。言われる前にやる、自分で考えて行動する、もしくは自分の意志で行動しないことを選択する、そういったことが主体性です。

この主体性というのは結構、やっかいです。人間は誰しも、主体的に生きているつもりでいます。つまり、自分の人生を自分の意志で選んでいるつもりでいるんです。しかし実際はそんなことありません。心の底では「やりたくない」と思っているのに我慢してやっていること、「これは変だよな」と感じていても周りに合わせてやってしまっていることはたくさんあります。

主体性を発揮せず、周りに合わせた生き方をするとどうなるか。それは死ぬ間際にならないとわからないかもしれませんが、やはり僕は後悔するのではないかと思っています。「あの時は親の言うことを聞いてあの大学へ行ったけど、本当はこういう道へ進みたかった」とか、「周りの意見を聞いてあの会社へ入ったけど、自分のやりたいことは別にあった」と思いながらも、抗えずに自分の進路を決めてしまうことってあります。

その時はそれでいいと思うんですが、やはり実際に進んでみると楽しくない。自分の心や体が全然喜んでいない。自分のやりたいことは別にある、と心が燃えずにくすぶってしまう。でもその後も主体性を発揮できずに、また周りの目を気にして受け身で物事を決めてしまう。

こういう風に受け身の人生を送ることに慣れてしまうと、自分のパワーを出している気になれないと思います。「まだ本気を出していない」というやつですね。でもですね、主体性を持って物事を選んでいかないと、いつまでも「本気」になれないんですよね。やりたいこととやることが一致しないと、本気モードへのスイッチが入らない。そして、「主体性を発揮する」「本気を出す」というのは、こうして文字にする以上に難しいことなんです。

なぜ難しいか。人間というのはどうしても「自分は他人からどう見られているか」を気にしてしまうからです。断ってはいけないんじゃないか、あの人の顔を立てなくてはならないんじゃないか、と先回りして考えてしまうんです。もちろんある程度、こういう風に考えがまわらないと、生きづらくなるとは思います。でも自分の大切な未来、その判断を周りに委ね続けたら、死ぬ間際まで「本気」を出せないまま終わってしまうかもしれません。

あとは、判断を他人に任せたほうが楽というのもありますね。自分で「自分が本当に求めていることは何か」を探り出すのは骨の折れることです。そんなことをしなくても、生きていく分には何の支障もないです。おそらく主体的に生きることで、周囲との摩擦も起きるでしょう。「主体的に生きない」というのは、楽をするという面では合理的な選択と言えます。

しかし僕は、それは嫌だな。やはり自分の人生は、きちんと自分の意志で決めたいな。そう強く思うようになったんです。なので去年は「主体性」を意識していました。しかし一年間、意識したぐらいでは、やはり身につかないようです。今年もこのキーワードは、自分のひとつひとつの行動へ忘れずに紐付けていきたいと思います。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。