柴田元幸さんの「翻訳教室」を読んでいます

2017-08-10 15:21

柴田元幸さんをご存知でしょうか。ポール・オースターやチャールズ・ブコウスキーといったアメリカ文学を翻訳している翻訳家です。

村上春樹さんとも親交が深いので、共著などを通じてご存じの方も多いかもしれません。数年前、金沢21世紀美術館で講演があった時にお話を聞きに行ったことがあります。

今、柴田元幸さんの「翻訳教室」という本を読んでいます。その名の通り大学の授業で翻訳の講座を行ない、その内容を文字起こししたというものです。まだ読み始めたばかりではあるんですが、とてもおもしろい本です。

どういうところがおもしろいか。それは翻訳という作業のメカニズムを知ることができるところです。

誰しも英語の授業というのを中学生の時に受けたことがあると思います。その時に英文和訳という問題が必ずテストに出ていました。翻訳というのはこれの延長のように思っていましたが、もっと感覚的な要素が強いということがわかりました。

正しい訳文を作ろうと思えば、直訳でいいわけです。でも小説を直訳しても、そのおもしろさは伝わりません。もっと英文を日本語に馴染ませて訳する必要がある。

かといって意訳でいいのかというと、それもちょっと違います。意訳というのは大まかな意味が合っていれば細部は問題ないという感じかと思いますが、小説はその細部の積み重ねによって大きなイメージを作り上げるという性質のものです。細部は決しておろそかにできません。

この「翻訳教室」は、実際に存在する英文を元に生徒と柴田さんがそれぞれ翻訳をし、最も適した訳は何かをディスカッションしていく形式になっています。

その議論の仕方は、ともかくベターを探して積み上げていくというもの。直訳には正解があるのかもしれませんが、翻訳に正解はありません。限りなくベストに近いベターな翻訳を、訳する人それぞれが持っているわけです。その中でさらにベターと思われるものを議論しながら探っていきます。

この本を読みながら思うのは、自分たちの生活も実はベターの積み重ねではないかということです。

今こうしてブログを書いていますが、ブログの文章もまたベストを突き詰めればどこまでも時間を掛けられます。しかし1000字程度の文章で何時間も掛けるわけにはいきません。なので、ある程度ベターが積み上がったところで「よし」とするわけです。

なんでも「ただひとつの正解」というのがある気がしますが、実際に存在するのは制約の中でベターと思われるものだけです。それを迷いながらも選択して進んでいくしかないんですね。そんなことを思いました。


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