無自覚な我慢は、もうやめる

普段、生活していると、我慢していることはたくさんあると思います。「思います」と書いたのは、自覚のないものも多々あると気づいたからです。

引っ越してからランチは近所のお店へ食べに行っています。街の中心地なのでお店はたくさんあります。でも美味しいと思うお店はどこも高いんですよね。700円前後の少しお安めのところへいこうとすると、味はやはり落ちてしまいます。

そう思いながら今日もどこのお店へ入ろうかとぶらぶら歩いて、一軒の定食屋さんの前で足が止まりました。何回も来ているお店です。ランチの値段は700円くらい。ボリューム的にも申し分なしです。

「まあ、ここでいいか」と深く考えずに入りました。ランチを注文して、しばらくして料理が目の前に運ばれてきました。箸で料理を食べます。「まずい」。うん、改めて思いました。美味しくないです。

何が美味しくないか。まず、お米が美味しくないです。とてもパサパサしています。揚げ物と炒め物がありました。どちらも全然美味しくないです。いかにも業務用の冷凍食品という感じです。味付けもケチャップやマヨネーズです。サラダもついています。美味しくないです。値段の安いキャベツが中心で、ドレッシングもただ油をかけているような感じです。

1/3ぐらい食べたところで思いました。「どうして自分はこれを食べているんだろう」。選んだのは自分なんです。でもまったく美味しくない。初めて来たお店ではないのです。何度もきているので、まずいことは知っています。つまり、まずい食事をしようと思って、まずい店を自分が選択したのです。

これってちょっとおかしいなと思いました。自分でどんな店でも選択できたのに、どうして我慢しなくては食べられないものを食べているのか。残すのは嫌なので何とか食べましたが、「もう、ここに来るのはやめよう」と思いました。

この話を読んで、「馬鹿だなあ」と思いますか。こういう意識しない我慢は、日常にたくさん潜んでいるような気がします。ブラック企業はなぜなくならないのか。いじめはなぜなくならないのか。陰口はなぜなくならないのか。こういうのは全部、これで説明がつくように思いました。

つまり、自分が嫌なことを我慢している自覚がないのです。そして自覚があったとしても、なぜか人間というのは、拒否よりも我慢することを選ぶ習性があるのです。

人生とは限りあるものです。無意識の我慢で、嫌な時間を増やしたくはありません。「人生において絶対に我慢をしない」ということを、改めて胸に刻みました。