市橋織江さんの写真展へ行ってきました

2017-11-22 22:44

今日は市橋織江さんの写真展へ行ってきました。場所は富山県高岡市にあるミュゼふくおかカメラ館です。

 

見た感想はどうだったか。ものすごく良かったです。何がそんなに良かったか。何かを見て「いいな、素晴らしいな」と思うことは多々あります。それを言語化しようと思うと難しく感じます。でも今日見た写真展は、割りとすぐにその理由がわかりました。

 

当然の前提として、市橋さんがどのような気持ちで写真を撮られたかはわかりません。でも見ていて思ったのは、「作為的でない」ということでした。

 

「作為的でない」というのは、どういうことか。例えばInstagramでは、止まることなくものすごい勢いで凄まじい数の写真が発信されています。良い写真が本当にたくさんあります。構図も光の入れ方も色合いも完璧。本当にスキのない写真ばかりです。

 

そんな中に、市橋さんの写真を無署名でポストしてみたらどうなるだろうか。おそらくそれほど「いいね」は付かないのではないか。Instagramの膨大な量の中では、特に引っかかることなく埋もれてしまうのではないか。それはどうしてかと思うと、「いいね」をたくさん獲得する写真に比べ、不完全だと思うからです。

 

水平垂直がきちんと取れていない写真がいくつかありました。レンズの歪曲で歪んでいる写真もありました。いわゆるピンぼけの写真もありました。普段、ウェブ上で見慣れている完璧な写真に比べると、不完全に思えました。つまり「いいね」をもらうためのような、作為や計算が感じられない。心が反応した、その時のその場所のものに対して、素直にシャッターを切ったという印象。それがとても良かったのです。

 

完璧な写真には「余白」がありません。余白がないと、鑑賞者はそれ以上、イメージを想起できません。見た瞬間に圧倒され「いいね」を押したとしても、次の完璧な写真を見れば記憶が遠ざかってしまいます。でも市橋さんの写真は、不完全なだけに「余白」がたくさんあるように感じました。

 

印象に残った写真が本当にたくさんあります。「ああ、良い写真というのは、こういうことなんだな」そんな風に思いました。

 

市橋さんはフィルム写真しか使わないことで知られています。そのことは少なからず関係しているように思いました。デジカメはすぐにモニターで確認できるので、「完璧」に撮れるまで何枚もシャッターを切ります。コンピューターを使っての現像も、水平垂直はもちろん、歪みも色温度もノイズ除去も、すべて「完璧」になるまで行ないます。

 

その過度なまでの完璧さへの追求は、写真を見る人にとっては余計なものなのかもしれない。写真展をゆっくりと見ながら色んなことを考えました。

 


Category:写真

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