初詣の渋滞を見て思うこと

白山方面へ写真を撮りに行こうと車を走らせていたら、ものすごい渋滞にハマってしまいました。ローカルな説明で恐縮ですが、鶴来バイパスの天狗橋の辺りから混み始め、セブンイレブンの手前の角から左へと列は続いていました。

おそらく白山比め神社へ初詣に行く渋滞なのでしょう。通常であれば5〜6分で着く道のりが、列の進むスピードからして30分以上は掛かりそうでした。自分はもっと山の方へ行くつもりだったので、渋滞から離れることができました。

こういった光景を見ると不思議に思います。会社員の方であれば、正月休みは限られているはずです。下手すれば明日の1月4日から仕事が始まるかもしれません。そんな貴重な休みの日にわざわざ渋滞にはまってまで初詣へ出掛けるのです。

これはまあ客観的に見てうまい時間の使い方とは言えません。往復1時間以上掛けて神社へお参りに行くよりも、その時間で本を一冊読んだほうが自分のためになります。またどうしても三が日までに行きたいのであれば、渋滞を避けるため夜中や早朝に行くほうが合理的です。なのでこの現象は合理的な理由では片付けられない、もっと感情的なものが潜んでいるように思います。

渋滞が発生するということは、そこに人が集中することを意味します。多数の人が同時に同じ行動を取っているんですね。つまり日の高い時間に初詣へ出掛けることは、必然的にみんなと同じことをやることになる。そこから得られる安心感が大きいのかなと。

誰しも表面的には渋滞は嫌だと思います。でもみんなが同じ時間帯に一斉に行なうことは、自分もやらないと不安になる。落ち着かなくなる。渋滞は嫌だけれど、渋滞にハマるからこそ安心する部分がある。そんな矛盾した心理が働くのかなと思いました。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。