もし自分の命が今日終わるとしたら、それでも同じことをするだろうか

満を持して、ウォシュレットを自力で取り付けました。購入したのはパナソニック製のものです。

ちなみにウォシュレットという名称はTOTOが登録商標しており、パナソニックの場合は、ビューティ・トワレと言います。

取り付け結果を言うと、大変でしたが1時間半ほどで無事付けることができました。説明書を見ながらなので進めることはできつつも、初めてのことなので結構、手間取りました。

今年の冬に水道管が二回破裂して、水回りのトラブルが多いこともあり…。トイレの止水栓が固くて回せなかったので、すぐ外に出て元栓を締めるなど、なんだかトラブル慣れしていて要所要所ではスムーズにいきました。

その結果、なんとか取り付けが完成です。一つずつやっていけば何とかなるもんだなと、すがすがしい達成感を味わいました。

それで変な話ですが、ウォシュレットの取り付けを終えた後にふと考えました。「もし自分の命が今日終わるとしたら、それでも同じことをするだろうか」と。

どうしてそんなことを考えたのかわかりません。ふとそんなことを考えてしまったのです。

考えた末、二通りの答えが自分の中で生まれました。もし、今日が最後の命だと事前にわかっていたなら、…やらないだろうなと。他に何をやるかはわかりません。でもウォシュレットの取り付けを人生最後の日として選ばないだろう。

もう一つの考えは、もし、今日が最後の命だと知らずにいたら…。知らないままウォシュレットの取り付けを行ない、その直後、体調が急変して床に倒れてしまったら。

だとしたら、わりと満足して死ぬんじゃないかと思いました。なぜなら、これまで経験していなかったことをやってみて、苦労しながらもやり遂げるでき、満足感があったんです。

たかだかウォシュレットの取り付けですが、何か嫌なことのあった日に死ぬより、満足感を持ったまま意識が遠のくほうが幸せなんじゃないかと。

そう思うと人間の満足感や幸福感というのは、達成感と関わっているように思いました。何か目標を持って行動していく。スモールゴールを手にして満足し、また次のゴールを定めて行動する。その繰り返しの中に喜びがあるのではと。

まあ実際に死ぬ瞬間になれば、何を考えているのかはわかりません。ともかく目標を持って、そこに向かっていく姿勢は続けていきたいと思いました。なぜかウォシュレット(ビューティ・トワレ)を付け終わった後に。

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