ばかばかしいもの。意味のないもの。何の役にも立たないもの。

こんばんは。自炊した本を読んでいたら、あることに気づきました。昔の活版印刷のほうが、読んでいて疲れないなあと。なんでだろ。

自炊というのは、本を裁断してpdfにすることです。僕は数年前に、手持ちの本をすべて自炊してpdfにしました。(自分でやらず業者へ送って、まとめてやってもらいました)

それらはすべてEvernoteに入れてあり、ふと読みたくなったときにタブレットやパソコンにダウンロードしてパラパラとページをめくっています。

そういったわけで、今日、ノートパソコンのディスプレイ上で自炊した本を読んでいました。奥付を見ると、発行年は1993年とあります。

本の作り方がパソコンを使ったDTP(デスクトップパブリッシング)へ移行したのは、1995年ころではないかと思います。そのため読んでいた本は、もちろん活版印刷でした。

それをディスプレイ上に表示して1ページずつ読んでいたんですね。昔ながらのしっかりとした書体で印刷してある旅のエッセイです。

何ページか読むうちに、「なんかいつもより、集中できているな」と気づきました。

「いつもより」というのは、普段、ディスプレイでKindleなどを読むのに比べて、ということです。ディスプレイのウェブフォントよりも、活版印刷をスキャンした方が確かに「文字を読んでいる」という手応えがありました。

これはなんでだろうと考えていて、いくつか理由が浮かびました。

ひとつは、文字の色です。ディスプレイに表示する文字色というのは、真っ黒でないことが多いです。少しグレーになっているのがほとんどのはず。それは真っ黒だと圧迫感が出てしまうからです。

ただでさえディスプレイの文字を目で追いかけると疲れます。そのため少しでも負担を減らし可読性を高めようと、文字を少しグレーにしているんです。

一方、昔の活版印刷の文字色は真っ黒です。文字のひとつひとつに存在感があります。文章を読んでいる手応えは、この文字色から来ているように思えました。

もうひとつは、フォントの形です。Kindleで本文を明朝体にしてみると、線の細いことがわかります。明朝体といえど柔らかい雰囲気を備えています。そのまま上品な女性誌のキャッチコピーにも使えそうです。

一方、活版印刷の明朝体は、堅い印象です。明朝体特有の文字の「たまり」や「はね」も、しっかり。読み手にこびてないというか、「読みたいと思った人だけ読んでください」という突き放したような雰囲気があります。

あとひとつ、インクをスキャンすることで文字に質感も生まれているなと。

文字色とフォントの形状、インクの質感。これらはウェブフォントに比べれば、読み手に優しくない設計です。でもだからこそ、活字に対して前かがみになって読んでいたのかもしれません。

そう考えると、最近は丁寧に文章を読みこむことが減っていると思いました。

パソコンやスマホを日常的に見るようになってから、文字を読む量自体は激増しています。

でも量が多くなった分、内容だけを知るため小見出しと太字だけをぱぱっと追いかけることもしばしば。文章に対する気持ちの入れ込み方が、かなり軽くなっているんですね。

そうして文章に対する姿勢が軽くなっているのは、「エッセンスだけがわかればいい」というふうになっているからだと思います。なぜそう思うかというと、文章というものを「有益な情報を得るためだけ」に使っているからだなと。文章を読むことがタスク処理化しているのです。

でも文章のすばらしさは、得する情報の取得だけではもちろんありません。それを読むだけで勇気づけられたり、自分のことのように悲しくなったり、切なくなったり。そしてうれしくなったりすることもあります。

そして得する情報の書いてある文章よりも、自分とは無関係などうでもいいことのほうが記憶に残っていたりします。

本から顔を上げれば読む前と比べて、少しだけ世界が違ったようにみえる。僕は本が持つそういった魔力が大好きでした。

昔はもっと意味のないものをたくさん読んでいました。何の役にも立たない小説を、死ぬほど読んでいました。同じ本ばかり、何度も読み返していました。

気づけば、時間がもったいないとばかりに、そういったものをぜんぜん読まなくなっていました。

なんかちょっと、「コスパ」「生産性」「効率化」「学習」「成長」みたいな方向ばかりいっていたんだな。

ばかばかしいもの。意味のないもの。何の役にも立たないもの。

そんなものにもっと時間やお金を使っていこうかな。