なぜフィルムカメラという面倒なもので写真を撮るのか、という問い

金沢は桜が満開です。昼過ぎから2時間くらいフィルムカメラのハッセルブラッドで写真を撮りに出かけていました。

ところでフィルムカメラを使っていると、「どうして自分はこんな面倒なもので写真を撮っているんだろう」という問いを持ちます。

自分にとっていちばんの理由は、フィルムでしか表現できない色や質感が好きだからです。

でもフィルムっぽい雰囲気はデジタルカメラでも再現が可能です。見た目の雰囲気だけが目的だとすると、あれほどの面倒臭さを許容する理由にはならないと思うんですよね。

炊飯ジャーとカマドはデジタルカメラとフィルムの関係に似ている

なぜ面倒なフィルムカメラで写真を撮るか。この問いを持ったときに、炊飯ジャーとカマドが思い浮かびました。

炊飯ジャーというのは、言うまでもなくご飯を美味しく炊く道具です。今は踊り炊きとか銘柄炊きとか色々な機能があって、ともかく美味しくご飯ができあがります。

でも全国には炊飯ジャーではなくカマドと鍋でご飯を炊く人がいるはずです。TOKIOのDASH村とかそんな感じなのでは。薪を用意して火をおこし、お米の入った鍋をセットし火加減を見ながら炊き上げていく。日本昔ばなしのような光景が思い浮かびます。

おそらく炊飯ジャーで食べるのとは、また違った美味しさがあるのだと思います。そして美味しさ以上に、そうやって手間暇をかけること自体が重要なのだと思います。

炊飯ジャーを使えばスイッチひとつで終わりです。とても簡単。なのにあえてカマドでご飯を炊くというのは、合理的な理由があってのことではありません。「簡単に・美味しく炊ける」という文脈とは別の考えがあるのだと思います。

フィルムは一枚一枚に対して、より真剣になる

フィルムカメラも同じだと思います。正確な写真を撮ろうと思ったら、デジタルカメラのほうがよほど楽です。

いまは高機能のものが多いので、オートフォーカスも瞬時に合うし、すごいスピードで連射できます。容量のあるカードを入れれば、数百枚もの撮影が可能。もちろん現像代は掛かりません。

フィルムカメラを選ぶことは、そういった機能的なアドバンテージをほとんどすべて放棄するのと同義です。合理的な理由でないのは明らか。

ではその理由はなにか…、ということですが。

同じことをアイルランドにいるときに英語で尋ねられました。「フィルムカメラで撮るのは、デジタルカメラとどういう違いがあるのか?」と。

そのときは不得意な英語で、「一枚一枚に対してより真剣になる。大切にシャッターを切るようになる」と答えました。

「簡単にはシャッターを切れない」という制約

どうして一枚一枚を大切に思うのか。単純にフィルム代と現像代でコストが掛かるというのがあります。自分の使っているハッセルブラッドだと、一枚の写真に200円くらい掛かります。気軽にはシャッターを押せない金額ですね。

でも考えてみると、金額はそれほど重要じゃないのかなとも思います。それより、手間暇をかけて撮る分、簡単にはシャッター切れなくなるという物理的な制約の方が重要かもしれません。

この光景を写真に撮るべきなのか、と自問自答している

デジタルカメラでは瞬時に撮れるケースでも、ハッセルブラッドではある程度の時間が掛かります。そのため実際に撮る前に、頭のなかでのイメージ作りは欠かせません。

イメージして実際にファインダーを覗いたときも、今ひとつだと思えば撮るのをやめます。準備をしているうちに、「本当に撮っていいのかな。撮るべきなのかな」と自問自答しているんです。

なぜ自問自答をするかといえば、単純に撮るまでに時間が掛かるからです。

そのため実際に撮ったときには、どのような考えでその写真を撮ったのかしっかりと覚えています。

「なんとなく良さそう」といった曖昧な理由で撮ることはありません。ひとつひとつの写真に対して、「なぜこれをこのタイミングと構図で撮ったのか」ということを説明できます。

これが自分にとって、「大切にシャッターを切る」という意味へつながっているのです。

限りある今年の桜をフィルムへ焼き付ける

面倒なことをあえてやるのは、それだけの理由があります。特に写真を撮ることは自分にとって大切な行為です。デジカメで反射的に何百枚も撮るより、考えを重ねて撮ったたった一枚のフィルムの写真が今のぼくにとっては必要なのです。

などとフィルムカメラの入り口に立ったばかりで、なんだかわかったようなことを書いてしまいました。

言葉が流れてしまわないようブログへとどめるように、わずかな期間しか見れない今年の桜をフィルムへ収めたいです。


金沢在住のフリーランス・ライター。2014年より海外への一人旅をはじめる。これまでに訪れた国は16カ国。旅に使っているカメラは、2016年秋に亡くなった写真家の伯父・富岡省三氏のHasselblad 500C/M。