自分が雑誌を読まなくなったのはなぜか、文章を軸に考えてみた

ごくごくたまに雑誌を買います。でもパラパラとめくったあとは、ほとんど開くことがありません。書いてあるテキストもほとんど読まず。

もともと雑誌が嫌いだったのかと言えばそんなことはぜんぜんなく、10年前くらいは熱心に読んでいました。金額も月に5千円くらい使っていましたね。でも今はほとんど買わず、たまに買っても読まずにパラパラめくるだけ。

どうしてこんな風にかわってしまったのか、自分の心の変化を書いてみます。

雑誌の文章は心に響かない

まずは文章そのものに満足を得られなくなったのがあります。雑誌に書いてある文章は、色々な情報を集めまとめてある印象です。署名性のない記事がほとんどですから、「私はこう思う」といった主張がないんですね。熱を感じられない。

これは雑誌の性質上、当然のことではあるのですが、読んでいて心に響きません。

昔はこれで良かったんです。雑誌を読むほかなかったので。でもネットには課金して読めるメルマガやnoteのほか、無料のブログ記事にもおもしろいものがあります。それらに比べて、雑誌のテキストはどうしてもマイルドです。

これだけ世の中にテキストが氾濫すると、当たり障りないものは時間を使ってまで読む気になれません。そもそも選択肢として入ってこないんです。

検索できないもどかしさ

もうひとつは雑誌の情報は雑多なため、欲しいものを瞬時に抽出できないもどかしさがあります。

もはやGoogle検索に脳が慣れきってしまいました。欲しいと思う情報は、自分で主体的に得られないと辛いのです。

雑誌の良さは、特集であればひとつの物事を色々な視点から捉える点です。でも読んでみたい特集があったとしても、本当に欲しいものはその中のたったひとつだったりするんですよね。

ネットであればそのひとつを検索し、効率的に情報を得られます。雑誌はそこにたどり着くまでに手間がかかる上、書いてあることもクライアントに忖度した控えめなものだったりする。

苦労するわりに得るものが少ない。そう感じて、手を取る気になれないのがあります。

個人が熱意を持って書いている文章には勝てない

やはり「コンテンツとしてのおもしろさ」の点では、個人が発信している文章に勝てません。昔は個人が作品を発信する場が限られていたため、一般人に行き渡りませんでした。

でも今はネット上に個人の作品があふれかえっています。それらは雑誌に比べ稚拙かもしれませんが、書いた人の感情が乗っていておもしろいです。それらに比べると、雑誌のコンテンツは他人事に聞こえてしまうんですね。

「届けたい、聞いて欲しい」と熱意を持って書く文章と、情報をキレイにまとめただけの文章とでは、どちらが読まれるかは自明のことなんです。

雑誌のような、写真と文章を組み合わせた洗練した媒体はなくならないとは思います。でもマス向けのマイルドなものは、緩やかに消滅していくのではないでしょうか。