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旅行記を書くと、村上春樹さんのヨーロッパ旅エッセイ「遠い太鼓」を思い出す

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ヨーロッパ旅行中にnoteへ書いていた日記の続きをアップしました。あと数回で終わるところで風邪を引いてダウン。そのまま放置していたので、もう少し続きを書いて終わる予定です。

旅行記を書くと、そのときの景色を鮮明に思い出す

この旅は去年12月から翌1月の2ヶ月間に渡って行きました。いまは4月下旬なので、日本へ帰ってから3ヶ月弱が経とうとしています。

それだけ期間が空いていても、旅行記を書き始めると旅のことを鮮明に思い出せます。

バックパックを担いで歩いた街の景色、空気の匂い、太陽の光、そういった細かい描写が蘇ってくるんです。不思議です。

だからぼくは旅行記を書くのが大好きなんです。旅の様子を文章にしていくと、もう一度自分が旅している気持ちになります。

そのときは気にもとめなかったものが、文章にすると書かずにいられなくなったり。その逆で旅しているときは心に引っかかっていたことが、「あえて書くほどではないな」と文章にしなかったり。

文章は心を翻訳するようなものなので、書かないのは聞かせたくないことなんでしょう。例えばナポリの街の歩道は犬のうんこだらけなんですが、あえて文章に書くことではありません(確かに)。

旅行記と言えば、村上春樹さんの「遠い太鼓」

旅行記を書いていると、自分の中では村上春樹さんの旅エッセイ「遠い太鼓」も思い出します。

1980年代から1990年代に村上さんは奥さんと2人でヨーロッパへ渡り、ローマやギリシャなどに根を張って生活をします。その様子を詳細に書いています。

その国の印象に始まって近所付き合いや、市場で手に入る食材、そして書いている小説についてなど仔細に、そしてユニークな描写で書き記しています。

この旅エッセイを読んだのは自分が大学生のときです。そのころは一人で海外へ旅するなど考えもしないことで、異国で生活の基盤を作る村上春樹さんのエッセイを憧れに似た気持ちで読んでいました。以来、とても長い本でありながら、何度も読み返しています。

「遠い太鼓」の好きなエピソード

「遠い太鼓」のなかで、好きなエピソードをひとつあげるとすれば。

村上さん夫婦がギリシャの近くの島でしばらく過ごすことになりました。観光シーズンが終わったあとで、島には寂しい空気が漂っています。

いつものように食料を買って家へ戻ると大雨が降り始め、その日の夜から嵐に襲われてしまうんです。早朝に雷鳴が何度もとどろき、雨はどんどん勢いを増す。一向に止む様子がなく、買いだめしてある食料の心配も出てきます。

「大丈夫だろうか」と不安がる奥さんに「まあなんとかなるさ」と楽観的な村上さん。嵐は三日三晩つづいたあとようやく終わります。晴れ間を見て外へ出ると、島の石塀のほとんどが崩れ落ちていた。塀はどれもが粗末な作りで、「あれじゃ、また大雨が来ると崩れるだろうね」なんてことを奥さんと話す。そんなお話です。

これを読んだときに、なんだかすごくわくわくしました。海外の島に一軒家を借りて住むのも素敵だし、そこに嵐がやってきて閉じ込められてしまうのも「小説のワンシーンみたいだ」と思いました。(村上さんにとっては災難の他なかったでしょうが…)

おそらく自分のフラフラとした人生は、このエッセイを読んだときにはすでに決定づけられていたのだと思います。

旅は自分にとって切り離せないもの

もちろん村上さんの域には到底およびませんが、それでもぼくにとって旅日記を書くことは実際に旅するのと同じくらい(ときにはそれ以上に)楽しいことです。

旅と文章は自分にとって切り離せないもの。いまはそれにフィルム写真が加わっています。

旅をして経験したことを文章や写真に残す。それを誰かへと伝えていく。そのことをこれからも繰り返していきたいですね。そのためにも「次の旅を決めなくては」です。

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