平凡でも「おもしろい」と感じる旅行記の魅力

ぼくは海外へ旅すると必ず旅行記を書きます。でもひとつ悩みがあって、性格が慎重なため武勇伝的なものがないんですよね。

いわゆる「ネタ」的なことがほぼ発生しない。

そのため「こんな平凡な旅行記は、読んでいておもしろいかな」とたまに考えてしまうことがあります。

平凡な旅行記でも読んでいておもしろいと感じる

ただ、自分でも誰かが書いた旅行記を読みますが、アクシデントやトラブルがなくとも淡々と海外の生活を書いているのを好きだったりします。

それこそ駅で電車に乗るときのことや、近所のパン屋さんのこと、レストランでの食事や出会った人のことなど、その街の描写が書いてあるだけで「おもしろい」と感じます。

なので「平凡な旅行記」でもいいのかなと思ったりもします。

なぜ変わったことが起こらなくても旅行記をおもしろいと感じるのか、言語化をしてみます。

旅行記の醍醐味は、海外の旅の追体験

これは旅行記に限らず文章の根本的なおもしろさになるのですが…。誰かが書いた文章を読むと新しい視点を得られます。文章は思想が現れるため、そのひとの考えを知ることができるんですね。

そのためその人自身に興味があるなら、文章もまた「おもしろい」と感じます。特定の作家さんを好きになるのはそのためです。文章そのものより、書いているひとの人間性を好きになるんですね。

もうひとつは、旅行記や小説は読んでいて情景をイメージできます。舞台となっている場所へ読みながら自分も行くことができるのです。

特に海外の場合は、自分の知らないことのほうが多いです。作者と一緒になって初めての街を歩き、レストランに入って料理を食べる。宿へチェックインして一夜を過ごす。そういった海外の旅を追体験できるんです。

これが旅行記を読むいちばんの醍醐味かもしれません。

「平凡な旅行記」をこれからも続けていこう

こういう風に考えてみると、そもそも旅行記にトラブルやアクシデントを求めていないことがわかりました。

初めて訪れた国を観察しながら見て回る、それはハラハラドキドキとはまったく異なるおもしろさです。

もちろんトラブルは物語に起伏が出るのであってもいいんですが、ないからといって引け目に感じることはないですね。旅の記録としても、これからも「平凡な旅行記」を書いていこうと思います。


中判フィルムの美しさに心打たれ、伯父さんの遺品ハッセルブラッドで写真を撮るように。年に数回、海外へ一人で行き、フィルム写真と旅行記を発信しています。