特定の人物との関係をやめたい、もう縁を切りたい。
そんなふうに思ったことはありませんか。
誰かに何度も嫌なことをされると、「もう、自分の人生に関わってほしくないな」と思います。
もちろん縁を切らず関係を持ち直せばそれに越したことはないですが、それでも我慢して関係を続けるくらいなら縁を切ったほうがいい。
中川淳一郎さんの『縁の切り方 絆と孤独を考える』を読んで、そんな思いを持ちました。
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『縁の切り方』レビュー
人間関係をあらわす言葉に、「絆」があります。
特に東日本大震災以来、日本ではキーワードになりました。
「大変な災害があったのだから、日本人全員が力を合わせ、助け合って生きていこう」、そんな文脈でこの言葉は使われています。
ただおもしろいことに、ことさら「絆」を持ち出すのは、被災者より他県のひとが多いようです。
東日本大震災の直後、ツイッター上で感動的なTweetが流行りました。
「今日、道で出会った人にこんな親切なことをされました。日本人はお互いが助け合って生きていて、素晴らしいですね」そんな内容が増え、拡散されていったのです。
でもそんなTweetをしているのは、被災地以外のひとばかり。
実際に被害に遭い物資や眠る場所を求める方々は、そんな感動Tweetなどしている場合ではないのです。
そう考えるとこの場合の「絆」とは、なんなのでしょう。
言葉自体の聞こえは良いですが、それは誰にとって必要なものなのか。
そもそも「絆」とは、本当に存在しているのでしょうか。
学生時代の友人は、何人残っているか
ここで、学生時代に時間を戻しましょう。
多くのひとが、友達と楽しい時間を過ごします。
それらの関係は、社会へ出てからも続いていきます。
でもぼくの個人的な話をすれば、小・中・高・大の16年間の学生生活で、46歳となったいまでも関係が続いていて、「そのひとに何かがあれば、損得抜きに最大限助ける」と思うのは2人だけです。
16年間でそれなりの数のひとと出会い、友達として楽しい時間を過ごしてきました。
その瞬間は、「仲間っていいな」「死ぬまでこのグループで楽しくやっていきたい」と思っていても、年月が経ってみればわずか2人しか残っていないのです。
「絆」や「つながり」は、その言葉の響きとは裏腹に、一過性のものだと実感します。
うがった見方をすれば、自己陶酔のまやかしのように感じます。
つながりの本質は「利害関係」
本質的に考えていくと人間が行動をともにするのは、「利害関係」が大きく関係していると気づきます。
ぼくが学生時代にグループの中で過ごしていたのは、「利害関係」として必要だったからです。
ご存知のように、人類の歴史の大部分は原始時代です。
そこでは狩猟をして、植物から木の実などを採取して生活していました。
食物を獲れなくても、衣服を作るなどグループ内で役立てれば食事を得ることができたでしょう。
逆に嫌われてグループからつまはじきにされれば、食べ物を得られません。
原始時代の人々にとって円滑な人間関係を築くことは、まさに生死に関わる重要な問題だったのです。
その名残りは現代人にも当然、受け継がれています。
人間同士が社会的なつながりを持つのは、それが生死に関わると遺伝子レベルで組み込まれているからです。
でも「あなたと付き合っているのは、利害関係があるからです」なんて言うと、頭のおかしい人だと思われます。
そもそも、誰もそんな風に突き詰めて考えてはいないでしょう。
だから「絆」や「つながり」といった、言わば聞こえのいい言葉で本質をカモフラージュしているのです。
「絆」や「つながり」という言葉にある種の欺瞞を感じるのは、こういった理由からです。
大切な人が、明日、いなくなるかもしれない
では、誰ともつながりを持たずに1人で生きていけばいいのか。
もちろん、そんなことはありません。
ぼくの学生時代の2人の友人のように、本当に大切なひとはいます。
この本のメッセージのひとつは、「そういったひとを、今、徹底的に大事にする」です。
詳しくは本を読んでほしいのですが、中川さんはとても親密な関係の人と死別しています。
本書内の、そのときの中川さんの心情を引用します。
この経験から分かったことは、「大事な人間はあんまりいない」ということである。
中川淳一郎. 縁の切り方 絆と孤独を考える
一人のとんでもなく大事な人がいなくなることに比べ、それ以外の人がいなくなることは大して悲しくもないのだ。
それは同時に、一番大事な人は徹底的に今、大事にしてあげなさい、ということも意味する。
何もすべての人間と縁を切り、世捨て人のように生きろと言っているわけではない。
でも、大切でない人間関係に思い悩んでいる人が多く感じます。
それらに時間を取られることなく、「大事なひとを、いま、大事にしよう」というシンプルなメッセージ。
この一文が、ぼくの心にとても響きました。
半世紀、生きて感じる、残り時間の少なさ
実は、ぼくは著者の中川淳一郎さんと同い年です(学年は、ぼくがひとつ上)。
50年近く生きてくると、「残り時間の少なさ」を毎日のように感じます。
この本を読んで、人間関係を本質から問い直すことができました。
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