野本響子さんの『日本人は「やめる練習」がたりてない』を読んだので、ご紹介します。
野本さんは2012年から7年間、マレーシアにお子さんと住んでいます。
この本ではマレーシアと日本とを比べてみて、「日本社会の問題点」を浮き彫りにしています。
「日本社会の問題点」と書くと物々しいですが、「マレーシアは素晴らしい!それに引き換え、日本はダメ」という極端な論調ではありません。
どちらも良いところと悪いところがあるけど、「日本のこういうところは、マレーシアのように緩くなってもいいよね」といったライトな感じです。
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『日本人は「やめる練習」がたりてない』レビュー
本の導入は、野本さんの経歴です。
早稲田を卒業したあと、当時人気の金融機関(保険会社)の一般職に入社。
でも示談交渉や事務処理がまったく向いてなく、入社5年後にライターへ転職しました。
タイトルの『日本人は「やめる練習」がたりてない』は、著者自身のこの体験が大きく影響しているみたいです。
自分の適性が曖昧なまま、給与や待遇、ネームバリューで会社を選び、向いてないとわかってからも「やめるのは、もったいない」と踏ん切りがつかない。
こういう風に感じる日本人って、たくさんいるのではないでしょうか。
そもそも新卒で、自分の適性にぴったり合った会社など入れるわけがありません。
本来は就職までに適正を見つけ、また入ってからも複数社を渡り歩いて「一生の仕事」を見つけていくべき。
でも日本では、「新卒で入り、定年まで勤め上げる」が一般的なサラリーマン人生です。
これって世界的に見て異質です。
どうして日本は、適正でなくても辞めずに続けるのでしょう。
学校をコロコロ変えるマレーシア

野本さんはお子さんを、マレーシアのインターナショナルスクールへ入れました。
ここに、日本とマレーシアの大きな違いがありました。
マレーシアでは、学校が気に入らなかったらすぐ転校するのが当たり前でした。
これがまず驚きです。
日本では一度、小・中学校に入ったら、親の都合以外で転校することってないです。
子どもが嫌がっても、我慢させてなんとか卒業させる。
つまり日本とマレーシアでは、人生のスタートである学校との向き合い方からして違うんですね。
このカジュアルな辞め方は、マレーシアの教育システムにあるようです。
進級条件があり、テスト成績によって簡単に留年が決まります。
その逆に飛び級する子どももいて、同じクラスでも年齢がみんな異なるのです。
学力に応じて、必然的にクラスが変わる。
だから次々に転校することにも、抵抗がないんですね。
日本の学校は、我慢を覚える場所
さらにおもしろいのが、マレーシアの学校では遠足ですら「出ますか?出ませんか?」と子どもへ選択させるそうです。
遠足だけでなく学校生活の全般で選択があり、その都度、子どもはどうするか考える必要があります。
これって日本と真逆です。
日本では、遠足は全員参加が大前提。
行くのが嫌な子どもは、「我慢すること」を強要されます。
つまり日本の学校は、自我を殺して我慢を覚える場所なのです。
どうでしょう。
日本人の「やめる練習のたりていない理由」が、徐々に見えてきませんか。
あえて好きではないことをやらせる

この日本人の「我慢する練習」は、学校行事だけではありません。
クラブ活動でもそうです。
日本の学校では一度クラブに入ったら、卒業まで同じ活動をするのが当然とされています。
辞めてしまえば、すでに体制の整っている別のクラブへは入りづらいです。
籍だけの文化部へ入るか、帰宅部と称して無所属になるパターンが多いでしょう。
ここでもマレーシアは、日本と真逆を行きます。
マレーシアでは、「同じクラブを続けることが、推奨されていない」のです。
びっくりしませんか。
好きなスポーツをやっているなら、それとはまったく異なったものをあえてやらせるんです。
そうすることで、子どもは視野が広がりますし、何より挑戦に慣れていきます。
失敗の恐怖心も、薄らいでいきますね。
不寛容な社会は、息苦しさを生む
もちろん、我慢を強いる日本の教育すべてが悪いわけではありません。
ひとつのことを辛抱強くやり続けることで、凡人ではたどり着けない世界へ到達できる人もいるでしょう。
ただ日本中のひとが我慢しすぎていて、他人に対し不寛容な空気はあります。
不寛容さは、息苦しさを生みます。
ぼくは2019年7月に、3週間ばかり北欧へ行きました。
その3週間のあいだ、ぼくは一度たりとも怒っているひとを見ませんでした。
街にいる人も宿の人もお店の人も、みんな穏やかで優しかったです。
その3週間のあと、初めて怒った人を見たのは帰りの飛行機の中。
CAさんに座席の不具合で怒鳴っている、日本人男性でした。
そしてその前に怒っている人を見たのは、北欧へ飛び立つ前の成田近くの駅のプラットフォーム。
日本人男性二人が、「体を押した押さない」と大声で怒鳴り合っていました。
北欧の3週間で怒っているひとを1人も見ず、その前後に見たのはどちらも日本人。
たまたまかもしれませんが、この逆のパターンは自分にとって考えづらいです。
日本人は、「自分がこれだけ我慢しているのだから、周りも同じように我慢しろ」と強要しているように思えます。
日本でよく言われる「空気を読む」という言葉自体が、それを顕著に表しています。
我慢は、ストレスを生みます。
我慢がデフォルトの日本人は、怒りがメモリいっぱいにいつもたまっていて、ふとしたきっかけですぐにこぼれてしまうのです。
自分が住んでいる国を、外側から見る

住んでいる国のことは、なかなか客観的に見れません。
状況を正確に知るには、一度、日本を出て、外側からの視点を持つ必要があります。
この本は「日本の一流大学から、一流企業へ」というレールから逸脱した著者が、外側から日本を見つめたものです。
移住するのはかなりハードルの高いことですが、こういった本を通し、日本の現状を知ることができますね。
日本社会に息苦しさを感じているひとは、この本から抜け出すヒントをもらえるかもしれません。
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