相談したときほしいのは、どこかで聞いた格言ではなく、客観的な視点

何か悩みごとがあるとき、誰かに相談することがあります。

最近、気づいたんですが、相談して言ってくれるといちばん助かるのは、他者からの客観的な視点です。

自分自身を客観的に見るのは、困難なことです。
でも他者にしてみれば、とてもたやすい。
役に立つかわからない気の利いたセリフより、客観的視点を告げられたほうが、ためになります。

でもこれって、相談する方もされる方も、自覚していないように思います。

ぼくも誰かから相談されると、「一言でその人の頭の霧が晴れるような、気の利いたことを言わなくちゃ」と考えてしまいます。
また相談する側にしても、「何かしら状況を打開するアイデアをほしい」と思っているでしょう。

そういった言葉がポンと出てくれば良いですが、まあだいたい出てきません。

なので納得させるためなのかわかりませんが、どこかで聞いたような格言(「石の上にも三年」とか、「残り物には福がある」とか)を告げたりする。

格言も役に立たないわけではないですが、だったら格言辞典を持っておいて、困ったときにはそれをめくればよいです。

相談は、第三者にするから意味があるんです。
「あなたが置かれている状況は、第三者の視点で見るとこうだよ」と教えてもらうほうがよほど有益です。

常々思うのですが、自分を客観的に見るのは本当に至難の業です。不可能でないか、とさえ思います。

その最もわかりやすい例が、一流企業や行政の不祥事です。

不祥事が発覚すると、謝罪会見を行います。
すると頭を下げるトップの多くは、「辞任はしません」と発言します。

ディスプレイを通し客観的に見る我々にとって、その発言はとてもおかしなものに思えます。

「どう考えても、ここはトップがやめないと収まりがつかない。なぜそれがわからないのか」と不思議に思ってしまいます。

結果的にほとんどのトップはやめることになるのですが、だったらなぜ最初の会見でその選択を取れないのか。

おそらく「やめない」と宣言している人も、別の誰かの謝罪会見を見ているときは、「どうして、この人はやめないのだろう」と不思議に思ったはず。

それがいざ謝罪する側に回ると、トップを降りる選択を取れない。
むしろ「やめずに事後処理をする。それが自分の責任だ」と信じ込んでいるかもしれない。

この光景を見るたびに、「自分を客観的に見るのは、とても難しいことなんだ」と思うのです。

話を戻すと、トラブルが身に降り掛かり、にっちもさっちもいかなくなったとき。
一体、どういう状況にあるのか、まったく見えなくなります。

自分を客観的に見ないままでは、やめるタイミングを逸した大企業のトップと同じで、間違った選択をしてしまいます。

客観的に見てくれる他者の視点は、そういった意味でとても重要。
自分の行動を、最適に修正できます。

誰かに相談したくなった際は、「あなたの目から見て、今の自分はどういう状況にある?」とまずは聞いてみると良いです。
でないと、どこかで聞いた格言を言われ、解決したような気になってさせられてしまいます。

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